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柘植正俊 : ミニ英和和英辞書
柘植正俊[つげ まさとし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [じゅん]
 【名詞】 1. excellence 2. genius

柘植正俊 : ウィキペディア日本語版
柘植正俊[つげ まさとし]
柘植 正俊(つげ まさとし、天文17年(1548年)〔『寛政重修諸家譜』掲載の享年からの逆算による。ただしこの生年だと、父とされる織田信治とはわずか3歳差になってしまう。〕 - 慶長16年6月2日1611年7月11日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将旗本織田信治の子だが、『寛永諸家系図伝』では織田与四郎行正の子とされる。織田三蔵のちに柘植平右衛門と称する。妻は丹羽氏勝の娘。子に柘植正時柘植正勝(旗本)。
== 生涯 ==
はじめ三河国刈谷の水野信元に仕え、織田信長に仕えた際に津田姓を名乗るようにいわれるが、母方の柘植姓を名乗った。後に豊臣秀吉に仕える。慶長5年(1600年会津征伐ならびに関ヶ原の戦い徳川家康に従軍する。それまで400石を知行していたが、慶長6年(1601年摂津国川辺郡他で加増をされ計900石を知行し、慶長9年(1604年)には切腹した息子・正勝の所領であった500石も加えられて計1400石となった。
慶長16年(1611年)駿府にて病没。墓所は静岡県静岡市葵区慈悲尾の増善寺。子孫は幕末まで旗本として存続した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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