|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 正 : [ただし, せい, しょう] 【名詞】 1. (logical) true 2. regular ・ 時 : [とき] 1. (n-adv,n) (1) time 2. hour 3. (2) occasion 4. moment
柘植 正時(つげ まさとき、天正12年(1584年) - 寛永19年12月9日(1643年1月28日))は、江戸時代初期の江戸幕府旗本、第14代長崎奉行。柘植正俊の子。母は丹羽氏勝の娘。弟に柘植正勝。先妻は森可政の娘、後妻は比留正吉の娘。子に柘植正直、柘植正弘。通称は三四郎、平右衛門。 摂津国に生まれる。慶長5年(1600年)に徳川家康に仕える。慶長14年(1609年)父より家督を継ぎ、翌年駿府に出仕し、大坂の役に供奉した後に小姓組となる。元和2年(1616年)徳川秀忠に仕え、寛永8年(1631年)使番となり、同年11月に布衣を許される。寛永9年(1632年)より徳川家光に仕える。寛永10年(1633年)1000石加増され計2400石となる。江戸城本丸修理奉行などを経て、寛永17年(1640年)6月12日に長崎奉行に就任、同年大目付井上政重とともに平戸に行き、西暦が記されていたオランダ商館の破壊を命じ、オランダ商館長フランソワ・カロンは、オランダ人200人を指揮し倉庫の物資を他所に移して商館を破壊した。以後、商館は出島に移ることになった。寛永19年(1642年)病にて長崎奉行を致仕し、同年12月9日に没。享年59。墓所は大阪府吹田市の大雄院。 == 参考文献 == *寛永諸家系図伝 第7巻 *寛政重修諸家譜 第8巻 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柘植正時」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|