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藤原 マキ(ふじわら まき、1941年 - 1999年2月)は、元女優で絵本作家。本名は柘植真喜子(旧姓・藤原真喜子)で、漫画家つげ義春の妻。つげとの間に一男をもうける。 ==生涯== *1941年 大阪府に生まれる。 *1945年 島根県加茂町に疎開。貧しさのため雪の中を靴下もはかず登校〔藤原マキ『私の絵日記』学研M文庫〕。高校生時代に帰郷。高校卒業後に女優を目指し、関西芸術座で演劇を学ぶ。その後、上京し演劇の世界に入る。唐十郎主宰のアングラ劇団・状況劇場などで活躍。「腰巻お仙」では、初代お仙役をまた、「由井正雪」の夜桜姐さん役など演じる。 *1968年2月 『ねじ式』『ゲンセンカン主人』など独自の作風で知られる漫画家、つげ義春と知り合う。同年8月には、つげと岩手県の夏油温泉、宮城県の定義温泉、栃木県の北温泉などを旅行。 *1970年3月 つげと調布の「ひなぎく荘」にて同居。つげの漫画作品である『退屈な部屋』には「ひなげし荘」というアパートが描かれているが、この「ひなぎく荘」がモデルである。 *1973年9月 つげと千葉県の大多喜、大原などへ旅行。 *1975年11月 長男の誕生を期に、つげと正式に結婚。 *1976年8月 子宮癌を発病。豊島区の癌研究会附属病院に入院、手術は成功するが、つげがこの影響でノイローゼを発症する。このときの様子は著書『私の絵日記』にイラスト付きで詳しく書かれている。 *1981年4月 家族で伊豆半島を旅行。湯ヶ野、下田などに立ち寄る。つげが漫画家としての将来を案じ、中古カメラの売買を始めるため古物商の免許を取得し「ピント商会」を設立。 *1982年 3月に家族で群馬県湯宿温泉を訪ね、湯の平温泉に宿泊。10月には家族で甲府の昇仙峡や房総の大原、富浦などへ旅行。また、つげの「ピント商会」が不況のあおりで閉店。藤原は絵本画家を目指し『私の絵日記』を出版。 *1983年 つげが『小説現代』に私生活を露わに記した『つげ義春日記』を連載したことで、夫婦間に亀裂が生じる。藤原マキの目には、その内容は多分に誇張されたものに映ったようである。 *1984年 家族で伊豆の湯ヶ野、湯ヶ島方面へ旅行。 *1985年5月 連休頃につげの持病の症状が軽快したため家族で1966年以来9年ぶりに奥多摩へ。帰路には夫婦喧嘩をする。 *1987年8月 家族で長野県別所温泉、鹿教湯温泉に旅行。 *1988年 4月に家族で千葉外房方面に旅行、養老鉱泉、大原などに立ち寄る。8月には群馬県の四万温泉へ、11月には丹沢山麓へ訪れ、飯山鉱泉に宿泊。この当時の家族旅行はつげの『貧困旅行記』として結実する。作中ではその様子をうかがい知ることができる。 *1991年 竹中直人監督、主演の映画『無能の人』(つげ原作)が制作されたのをきっかけに「つげブーム」が再来。同時につげの『貧困旅行記』の出版が重なり、つげは忙殺をきわめ、多くのマスメディアの取材に追われる。長男の中学校卒業祝いを兼ねた奈良方面への5泊6日の旅行へ。柳生街道、新薬師寺、法隆寺、東大寺、長谷寺、室生寺などの有名寺院や名所旧跡を回る。さらに、伊賀上野の忍者屋敷や木曽の妻籠宿などを訪れる。 *1992年 11月末より石井輝男監督の『ゲンセンカン主人』のクランクインに合わせ、家族で伊豆下田ロケに出かけ、湯ヶ野温泉、蓮台寺温泉、松崎に3泊する。なお、この映画に家族3人で出演している。 *1999年2月 ガン再発により永眠。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原マキ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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