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柳々居 辰斎(りゅうりゅうきょ しんさい、生没年不詳)とは、江戸時代後期の浮世絵師。 == 来歴 == 葛飾北斎の門人。姓不詳。名は政之、通称半次郎。満納半二とも呼ばれていた。辰斎、柳々居、柳花園などと号す。江戸の生れで神田小柳町と新石町で家主をしていたという。初めは琳派の俵屋宗理に絵を学び「柳々居」の号を譲られた。その後に北斎が辰政と名乗っていた時期(寛政11年 - 文化7年)に入門し、「辰」の一字を譲り受けてそれらを画号として使用している。 寛政後期から文政前期にかけて、主として狂歌摺物、狂歌本、読本の挿絵、錦絵及び肉筆美人画を描いた。また文化 - 文政期には、渓斎英泉が描いたような蘭字まがいの枠をつけた風景画を描いている。代表作としては摺物「吉原太門口松の内迎い駕籠」(東京国立博物館所蔵)、錦絵では北斎の影響を受けた洋風描写による陰影遠近の際立った風景画「近江八景」八枚組の他、肉筆美人画約10点が知られており、文化期の「団扇持ち美人図」、「花魁立姿図」(鹿都部真顔着賛)、文化末から文政期にかけての「二美人遊歩図」などがあげられる。また狂歌絵本では文化2年(1805年)刊行の『狂歌吾妻集』や文化9年(1812年)刊行の『蓮華台』、文政5年(1822年)刊行の『英雄五十人一首』などの挿絵を描いている。読本の挿絵では、文化5年(1808年)刊行の四方歌垣作の『月霄鄙物語』(つきのよひなものがたり)前後編の挿絵を描いたことで知られる。辰斎の錦絵は「近江八景」シリーズを除いて大半が無款であるが、遠近法や陰影法を使用した独特な洋風風景画であった。その一例として、「近江八景 石山秋月」(神奈川県立歴史博物館所蔵)が挙げられる。また無款の大判錦絵「大橋」(ベルリン東洋美術館所蔵)では、遠近法を使って両国橋と隅田川対岸の回向院を見事に描いている。 西沢一鳳著の『伝奇作書』、『綺語文草』に所収されている「浪花土産月名残」には、文化9年(1812年)に辰斎と四方歌垣が共に京都と大坂を遊歴するという内容の記述が残されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳々居辰斎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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