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柳 さく子または柳 咲子。(やなぎ さくこ、1902年11月3日 - 1963年3月20日)は、日本の女優。本名(出生名)は畔柳(くろやなぎ) 千代子〔『日本映画俳優全集・女優編』、708頁〕。 1920年代に、松竹映画の数多くの作品でヒロインをつとめた。 == 来歴 == === 生い立ち ~ 少女歌舞伎時代 === 畔柳(くろやなぎ) 千代子として、東京市浅草区二長町(現・東京都台東区台東一丁目)に生まれる〔〔『映画界ローマンス』、165 - 166頁〕。生後間もなく実父を失い、実母も千代子が5歳の時に死去〔。孤児となった千代子は、同区芝崎町に住む叔母夫婦に引き取られることになった〔。養父は昔気質で腕のいい袋物師だったが、世渡りが下手で生活は苦しかった〔〔『映画界ローマンス』、166 - 167頁〕。だが、子供の無かった養父母は千代子を大変可愛がり、幼時から常盤津・長唄・日本舞踊などの芸事を教え込む〔〔。これらの芸が、その後の千代子の身を助けることになった〔。 10歳の時、家計を助けるために、地元の劇場「アウル館」を拠点にしていた一座「少女歌舞伎」に入る〔〔。この一座は後に横浜へ拠点を移すが、千代子は座長で高名な三味線師でもあった竹澤龍造に認められ、「市川左久江」の芸名を名乗り看板女優として活躍する〔〔『映画界ローマンス』、168 - 169頁〕。1921年頃、「少女歌舞伎」が解散〔『映画界ローマンス』、174頁〕。 生活の糧を求めた千代子は、地元浅草で映画俳優の斡旋をしていた山田という女性の紹介で、国活映画の『涙の親子』にエキストラとして出演する〔『映画界ローマンス』、174 - 176頁〕。さらに1922年1月、山田の夫が勤めていた松竹蒲田撮影所に大部屋女優として入社し、本格的に映画女優の道へと踏み出すことになった〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳さく子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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