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「柳ヶ瀬ブルース」は、美川憲一が1966年4月1日に発売した、3作目のシングル盤レコードである。 == 解説 == 作詞作曲者の宇佐英雄は岐阜市の歓楽街『柳ヶ瀬』で流しでこの曲を歌っていたが、彼が自費製作したフィルム・レコードを入手した日本クラウンのディレクター長田幸治が、美川憲一デビュー当初の青春歌謡路線は向いていないと判断して方向転換するために3枚目のシングル盤として歌わせたものであり、実際に演歌・ムード歌謡路線に方向転換する転機になった曲である。青春歌謡と比すると暗いため、当初は美川自身「私は明るい性格だから」などという理由により歌いたくなかったとしばしば番組などで語っている。 日本クラウンは曲の舞台となった地元柳ヶ瀬とタイアップし、この曲が柳ヶ瀬で流行っているとして、スポーツ新聞や週刊誌の記者を取材ツアーに招待、地元でも記者の飲食費を負担するとともに、当日はどこに行ってもこの曲を流し、歌うようにしておいた〔前掲『日本歌謡ポップス史 最後の証言』75頁。〕。このタイアップの結果、この曲が120万枚を超えるヒット曲となって柳ヶ瀬の地名が全国に知られるようになるとともに、美川自身もスター歌手としての地位を確立していくこととなる。 いわゆる「ご当地ソング」という言葉は、当曲が評判になり始めた頃クラウンレコード(日本クラウン)の宣伝担当者が使い出して広まったとされる〔長田暁二『歌謡曲おもしろこぼれ話』社会思想社、2002年、214頁。ISBN 4390116495〕。 また、この曲は、1967年に出した『新潟ブルース』、1968年に出した『釧路の夜』と共に、美川のご当地ソングシリーズ三大ヒット曲と謳われている。 さらに、『柳ヶ瀬ブルース』をモチーフにして松竹が同名タイトルの映画を梅宮辰夫主演で製作、美川も出演して劇中で同曲を歌唱している〔柳ヶ瀬ブルース 日本映画製作者連盟データベース〕。 1990年に新録音されたバージョンもあり、ベスト版ではこちらが収録されている場合も多い。なおオリジナル版と比較すると全体的に節回しがやや違う。 1991年4月に、柳ヶ瀬商店街のアーケード地面に、蒔田浩(当時の岐阜市長)の筆により柳ヶ瀬ブルース歌碑が設置された。歌碑には1番の歌詞が記されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳ヶ瀬ブルース」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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