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柳井 満(やない みつる、1935年3月30日 - 2016年2月1日〔山崎銀之丞 Twitter 2016年2月16日〕)は、元TBSプロデューサー、演出家。東京都出身。 ==来歴・人物== 東京都立大学附属高等学校、東京大学文学部を卒業後、1958年にラジオ東京(後の東京放送(TBS)、現・東京放送ホールディングス)入社。同じくドラマ演出家である鴨下信一、久世光彦は東京大学・TBSの同期である。 入社当時は報道部への配属を希望していたが、ドラマ制作部に配属された〔「テレビがくれた夢 柳井満編」 (TBSチャンネル、2013年制作)〕。1980年代を代表するテレビプロデューサーであり、1980年代の世相を反映した「問題児」をテーマにした作品を多数制作した。 1979年10月に始まって2011年3月に完結した『3年B組金八先生』シリーズでは、武田鉄矢らを人気俳優に出世させた他、第1シリーズで生徒役だった田原俊彦、野村義男、近藤真彦らの人気を巧みな演出で押し上げた事が、後のたのきんトリオの誕生に繋がり、相次ぐ不祥事で低迷が続いていたジャニーズ事務所の業績復活にも一役買った。 又、長渕剛初主演のホームドラマ『家族ゲーム』(1983年)、同じく長渕剛と志穂美悦子が初共演して結婚に至った『親子ゲーム』(1986年)などを手がけ、長渕の俳優としての才能を開花させた。黒土三男脚本の作品も多数く手掛けた。 柳井班、は同期の鴨下・久世らが所属していた大山班とは一線を画しており、上述のようにそれまで知名度があまり高くなかったミュージシャンをドラマの主演に抜擢して主題歌も担当させる事で、俳優としてだけでなくミュージシャンとしても出世させていくという手法をとった。 1995年に定年を迎えたが、これ以後は嘱託として在籍することとなった。定年後は、『金八シリーズ』を中心とした武田鉄矢の主演ドラマにほぼ限定して活動していた。 2016年2月1日、胸部動脈瘤破裂により死去。葬儀は近親者で営まれた。80歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳井満」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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