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柳 卓(やなぎ たく、1951年4月30日 - )は、元琉球放送アナウンサー。 == 経歴 == 北海道芦別市西芦別町出身。北海道での生活は小学校まで芦別市、高校卒業までは札幌市で過ごした。現在でも北海道には毎年帰省している。〔2012年3月6日付の北海道新聞総合面の「ひと2012~沖縄発 冬の北海道ツアー同行30回~」より〕 北海道札幌開成高等学校を経て大東文化大学文学部在籍中東京アナウンスアカデミーにも籍を置き機会を伺う。卒業後1975年入社。 翌年『飛び出せ!全国DJ諸君』でグランプリを受賞。その実力を買われてニッポン放送から「ウチへ来ないか」と誘われたことがあったというが〔ラジオパラダイス1988年10月号「中波四十七局全国行脚記録帳 琉球放送の巻」にその記述あり〕、結局はそのまま留まった〔因みに、同僚だった波多江孝文は翌1977年に同じ「DJ諸君」で同じくグランプリを受賞した後にニッポン放送に移籍している。〕。RBCの名物アナウンサーとして活躍する一方、後にラジオ局次長(局長代行)として、アナウンサーやラジオ局のまとめ役もこなす、ブレインマネージャー的存在であったが、2011年4月、生まれが1日早い小山康昭とともに定年退職した。小山は嘱託となったが、柳はしゃべりにこだわりフリーランスとなって引き続きRBCiラジオに出演している。〔これについては、全国と台湾を遍歴中の一時期RBCに在籍した後輩の服部京子が退職パーティーに出席した際のこと、その後のある日のことをブログに書いている。〕 写真の機材に関しては、趣味の域を超えた様なものも有していたことがあった〔別冊ラジオパラダイス「DJ名鑑」(1987年刊)による〕。 1983年から柳の故郷である北海道の雪と寒さを楽しんでほしいという発案でRBCと沖縄ツーリストの共同企画による「白い北海道ツアー」を毎年行っており、柳も企画開始当初から同行者の一人として毎年携わっている。2012年2月15日に釧路市阿寒町にある阿寒湖温泉の阿寒湖氷上からのラジオ生放送(RBCローカル)では30回すべてのツアーに同行した柳に釧路市から感謝状が贈られた。〔2012年2月16日付の北海道新聞第4社会面より〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳卓」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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