|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 柳 : [やなぎ] 【名詞】 1. willow 2. slim ・ 原 : [はら, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 原資 : [げんし] 【名詞】 1. capital 2. principal
柳原 資廉(やなぎわら すけかど)は、江戸時代前期の公卿。 == 経歴 == 正保元年(1644年)、権大納言柳原資行の第二子として京都に生まれる。母は権大納言園基音の女で、霊元天皇の国母新広義門院の妹にあたる。したがって霊元天皇とは母方の従兄弟どうしの関係にあり、資廉が柳原家歴代当主の中でも特に栄進した背景にはこの姻戚関係があった。 方光という兄がいたが、病弱だったために資廉が柳原家の世子となった。 慶安3年(1650年)後光明天皇のときに叙爵され、明暦3年(1657年)の元服とともにはじめて昇殿して後西天皇に拝謁。寛文12年(1672年)に蔵人頭となり、翌年には参議・右大弁となる。天和元年(1681年)から貞享4年(1687年)まで権大納言、また貞享元年(1684年)から宝永5年(1708年)は武家伝奏として幕府との折衝にあたるとともに、朝廷の中枢にあって活躍した。位階は最終的に従一位まで昇進している。 正徳2年(1712年)薨去。享年69。現在の京都府京都市上京区の浄福寺に葬られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳原資廉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|