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柳原 資綱(やなぎわら すけつな)は室町時代の公家、柳原家当主。父は柳原行光、母は日野西資国女、子に量光、光秀ら。官位は従一位権大納言。 == 経歴 == 応永26年(1419年)、柳原行光の子として生まれる。文安6年(1449年)3月28日、参議に任じられる。 応仁の乱頃より柳原家の家計は、諸国の知行地が押領され、困窮するようになった。そのため、主要な経済基盤のあった因幡国法美郡の知行地に自身らが下向、子の量光と共に所領の経営を直接行った。 文明6年(1478年)頃からはほぼ毎年、因幡在国と上洛を繰り返すようになった。自らの在国中は子の量光を上洛させ、量光の在国中は自らが上洛し、宮中に奉仕する形を採り、所領の経営を行った。 因幡在国時は法美郡百谷(現:鳥取県鳥取市)の地に屋敷を構えていたという。文明14年(1482年)、従一位権大納言に任じられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳原資綱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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