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柳家 三好(やなぎや さんこう)は、落語家の名。過去に三遊亭三好を含めると4人確認されている。 *三遊亭三好 - のちの2代目鈴々舎馬風。 *三遊亭三好 - のちの初代三遊亭三福。(三橋亀太郎) *三遊亭三好 - 3代目柳亭左楽?の門で左伊造(または左イ蔵)といい後に初代三遊亭遊三の門に入る。1894年の名簿には三好となり、明治30年代には好三となる。1911年の名簿まで見えるが終わりは不明。上方の三遊亭圓子は実の兄とも弟ともいわれる。(関利三郎) *2代目 橘家のちに柳家三好 - 本項にて詳細。 *柳家三好 - 後の2代目柳家三語楼。 ---- 2代目柳家 三好(やなぎや さんこう、1854年(嘉永7年)9月 - 没年不詳)は、落語家、音曲師。本名、中田宗太郎。眼がくぼんでいた為「うしろめの三好」と言われた。実子は4代目橘家圓好。 初め明治初年頃、坐り踊りの名人といわれた夢輔(後の初代橘家圓三郎、五十嵐銀次郎)の門で朝寝坊?小夢から小圓三、1886年頃、4代目三遊亭圓生の門で三遊亭圓三、1889年、90年頃、3代目三遊亭圓好を経て1891年に2代目三好となる。1912年には最初の師匠の名前、立花家ないし浮世夢輔を名乗る。1913年に3代目柳家小さんの身内で柳家三好に復名。明治末から大正期にかけて音曲師として4代目橘家圓喬の膝がわりで評価を受ける。関東大震災頃まで活動していたがその後引退。6代目三遊亭圓生によると1929年、30年頃まで健在だったという。 眼がくぼんでいた為「うしろめの三好」と言われ、自身も『私の目玉は年々引込んで参りまして、今に後ろの方に出てしまいましょう。そうしたら所帯を神楽坂で持ちますよ。それ、うしろ眼(牛込)の神楽坂』と枕で言っていたそうである。 == 参考文献 == *諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X *今週の噺家 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳家三好」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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