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柳家紫朝 : ミニ英和和英辞書
柳家紫朝[やなぎや しちょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やなぎ]
 【名詞】 1. willow 2. slim 
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 
: [むらさき]
 【名詞】 1. (1) purple colour 2. purple color 3. violet 4. (2) type of soy sauce 
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

柳家紫朝 : ウィキペディア日本語版
柳家紫朝[やなぎや しちょう]
柳家 紫朝(やなぎや しちょう)は新内粋曲音曲都々逸名跡。当代は2代目(富士松紫朝から入れると5代目になる。)
初代との関係は初代と2代目の祖父が正式な弟子ではなかったが稽古を付けてもらっていた。
* 初代 富士松紫朝(1826年6月19日 - 1902年3月1日) - 九州久留米出身。盲人ながら安政年間から幕末明治の初年にかけて初代富士松魯中の門人で、寄席で新内語りとして人気を得た。三遊亭圓朝の「朝」はこの紫朝に因んだものという。後に弟子に紫朝を譲り自身は紫翁となり久留米に隠居した。尚同じ新内の名跡で富士松ぎん蝶と混合されやすく富士松紫蝶と表記されることがある。本名:佐藤 竹次郎。
* 2代目 富士松紫朝(1860年1月25日 - 1943年2月5日) - 初代と同じく九州出身で盲目、初代の門人で紫好斎を名乗り初代が引退と共に2代目を襲名。本名:古賀 城武。
* 俗に初代(富士松から入れると3代目) 柳家紫朝(1873年9月9日 - 1918年5月12日) - 越中富山の出身で若くして失明し1888年頃に久留米に隠居生活していた初代富士松紫朝の元で修行し紫玉と名乗る。左校と改名し地方廻りしている時に4代目柳亭左楽に見出され1896年柳派に加盟。翌年初席から「三代目柳家柴朝」として出勤。「紫」に考慮して「柴」としたというが、大正に入り「紫朝」となる。本名:尾上 亀次郎または亀吉。墓所は谷中一乗寺。戒名は「温情院紫朝日唯信士」。
* 3代目 富士松紫朝(生没年不詳) - 1936年5月に富士松佐交から3代目紫朝になった人物がいる。本名:不詳。
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柳家 紫朝(やなぎや しちょう、1929年11月3日 - 2010年4月26日)は東京都中央区越前堀(現在の中央区新川)出身の粋曲新内語り。落語協会所属。出囃子は『六段くづし』。本名:渡辺 實(わたなべ みのる)。祖父も元新内で3世鶴賀喜代太夫
*1937年 - 祖父の元で新内の修行を始める。
*1948年 - 4世鶴賀喜代太夫を襲名。
*1952年 - 幇間芸人悠玄亭玉介の紹介で8代目桂文楽に入門し文喜(文楽の「文」に喜代太夫の「喜」に由来)を名乗る。(現在は5代目柳家小さん門下)
*1956年 - 桂二三夫と改名。その他にも富士松喜久次郎も名乗った。
*1969年 - 2代目紫朝を襲名。
*1980年 - 病気で倒れる。
*1986年 - 高座に復帰。
*2010年 - 慢性腎不全で逝去。。
芸風は祖父から新内、文楽から寄席のいろは、6代目三遊亭圓生、7代目橘家圓太郎からは大津絵柳家三亀松俗曲など多方面から様々な芸を吸収した。
晩年は寄席のほかに「柳家紫朝の会」を年一度開催していた。
== 弟子 ==

*柳家小菊
*柳家紫文
*柳家小春
*悠玄亭玉八

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「柳家紫朝」の詳細全文を読む




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