翻訳と辞書
Words near each other
・ 柳川国直
・ 柳川城
・ 柳川堀割物語
・ 柳川小学校
・ 柳川市
・ 柳川市コミュニティバス
・ 柳川市福祉巡回バス
・ 柳川市立柳城中学校
・ 柳川市立歴史民俗資料館
・ 柳川市警察
柳川平助
・ 柳川弁
・ 柳川弘志
・ 柳川強
・ 柳川慶子
・ 柳川房彦
・ 柳川教会
・ 柳川昌弘
・ 柳川明
・ 柳川明子


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

柳川平助 : ミニ英和和英辞書
柳川平助[やながわ へいすけ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やなぎ]
 【名詞】 1. willow 2. slim 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [すけ]
 (n) assistance

柳川平助 : ウィキペディア日本語版
柳川平助[やながわ へいすけ]

柳川 平助(やながわ へいすけ、1879年10月2日 - 1945年1月22日)は、長崎県出身の日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。司法大臣、国務大臣。
== 出自 ==
1879年長崎県西彼杵郡村松村(2007年現在・長崎市村松町、旧西彼杵郡琴海町村松郷大石)に生まれる。幼少時に佐賀県の柳川家に養子に出る。実兄・楠木志能夫(くすきしのぶ、1953年死去)は、長崎県大村市の開業医(眼科)。
尋常西海小学校から旧制・県立長崎中学校を経て、1900年陸軍士官学校(12期)を卒業。中尉日露戦争に従軍。1912年陸軍大学校(24期)を優等で卒業。
陸軍騎兵実施学校教官、陸軍大学校教官を経て、1918年に北京陸軍大学校に教官として着任。国際連盟派遣、欧州駐在を経て荒木貞夫陸軍大臣の下で1932年陸軍次官真崎甚三郎らと皇道派の重鎮となる。
1934年第一師団長となるが、荒木・真崎の力が衰えた1935年台湾軍司令官に追いやられる。1936年二・二六事件の後に予備役編入。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「柳川平助」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.