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柳川 重信(やながわ しげのぶ、天明7年〈1787年〉 - 天保3年閏11月28日〈1833年1月18日〉)とは、江戸時代後期の浮世絵師。 == 来歴 == 葛飾北斎の門人。姓は鈴木、名は重兵衛。雷斗、琴斎、鈴斎、雨蕉斎と号す。江戸の生まれで本所柳川町に住んでいたので柳川を称した。北斎の門人となり師の画法を極め、北斎の長女お美与と結婚し養子になったが、後に離縁となる。この時、実家に帰ったともいわれる。雷斗の号は北斎から譲渡されたものである。お美与と離縁になって後、文政5年(1822年)から文政9年(1826年)ごろ大坂に移住し、「東都柳川重信」という署名で浪花名所の風景画を描いた。また役者絵も描き、上方絵師に影響を与え大坂の地で門弟も育てている。作品は錦絵と読本の挿絵が多い。また肉筆美人画も手がけている。滝沢馬琴の長編読本『南総里見八犬伝』の挿絵の大部分を、養子の重山(後の二代目柳川重信)とともに担当した。その他に、為永春水の人情本『春色梅児誉美』の挿絵などを描いた。重信の美人画は葛飾派というより、同時期の歌川派や渓斎英泉の影響の強い、独自の画風を持って知られたが、詰屈な点が多かった。享年46。墓所は台東区下谷坂本の宗慶寺にある。 門人に二代柳川重信、柳斎重春、柳川雪信、柳川国直がおり、みな浪花錦絵を描いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳川重信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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