翻訳と辞書
Words near each other
・ 柳想鉄
・ 柳想鐵
・ 柳慶遠
・ 柳憂怜
・ 柳成龍
・ 柳戸 (柏市)
・ 柳才馨
・ 柳承佑
・ 柳承敏
・ 柳承辰
柳敏
・ 柳敬言
・ 柳文朝
・ 柳文朝 (2代目)
・ 柳斎周秀
・ 柳斎重春
・ 柳旦
・ 柳昂
・ 柳昇ギャルズ
・ 柳明佑


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

柳敏 : ミニ英和和英辞書
柳敏[りゅう びん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やなぎ]
 【名詞】 1. willow 2. slim 

柳敏 : ウィキペディア日本語版
柳敏[りゅう びん]
柳敏(りゅう びん、? - 581年)は、中国西魏から北周にかけての政治家軍人は白沢。本貫は河東郡解県。
== 経歴 ==
柳懿の子として生まれた。9歳のとき父を失い、母に孝事して知られた。学問を好み、経書史書を渉猟し、陰陽卜筮の術に通じた。20歳にならないうちに、員外散騎侍郎を初任とした。諸官を歴任して河東郡丞となった。
宇文泰が河東郡を落とし、柳敏と会うと、「こんにち河東を得たよりも、卿を得たことが喜ばしい」と言った。柳敏は丞相府参軍事として任用された。まもなく戸曹参軍に転じ、記室を兼ねた。また蘇綽らとともに新たな宮廷制度の構築にあたった。礼部郎中に転じ、武城県子に封ぜられ、帥都督を加官され、郷里の軍事を領知した。大都督に進んだ。母の死去のため、服喪に入るともみあげの髪は半白になった。再起すると吏部郎中となった。喪礼の過剰のためにやせ細り、杖を使って立ち上がるありさまで、宇文泰も驚いて特別に廩賜を加えた。553年尉遅迥を攻撃すると、柳敏は行軍司馬をつとめた。軍中の計略は、柳敏に委ねられた。益州が平定されると、驃騎大将軍・開府儀同三司に進み、侍中の位を加えられ、尚書に転じ、宇文氏の姓を賜った。556年、六官が建てられると、礼部中大夫の位を受けた。
557年、北周が建国されると、柳敏の爵位は公に進み、河東郡太守に任ぜられた。まもなく召還されて再び礼部に入った。郢州刺史として赴任し、善政で知られた。また礼部に入り、後に礼部が司宗と改められると、そのまま司宗をつとめた。柳敏は故事旧章に通じており、宮中の儀式は古い方式に改められた。
柳敏は小宗伯に転じ、国史の監修にあたった。また小司馬に転じ、律令の監修にあたった。位は大将軍に進み、鄜州刺史となったが、病のため赴任しなかった。武帝北斉を平定すると、柳敏の爵位は武徳郡公に進んだ。柳敏は建徳年間以後、病に伏せるようになり、武帝と宣帝がかれの邸に幸して見舞った。
581年が建国されると、位は上大将軍・太子太保に進んだ。この年のうちに死去した。五州諸軍事・晋州刺史の位を追贈された。
末子に柳昂があった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「柳敏」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.