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柳本 柳作(やなぎもと りゅうさく、1894年(明治27年)1月9日 - 1942年(昭和17年)6月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 == 略歴 == 長崎県平戸市出身。旧制長崎県猶興館中学校より海軍兵学校第44期入校。入校時成績順位は100名中第66位、卒業時成績順は95名中第21位。 幼少の頃から成績優秀だったが、実家が富裕ではなかった為に旧制中学校卒業と同時に母校の尋常小学校で代用教員を務め、貯財した上で翌年改めて海軍兵学校に入校するという苦労を強いられている。柳本家は伊勢神宮から平戸に遣わされた神官の家系だったという。 軍令部第二部第三課長在任中、日独伊三國間同盟條約締結に軍令部在勤課長職の大多数が賛成だったなか、橋本象造第二部第四課長と共に締結に反対した。海軍軍備計画を所轄する軍令部第三課長時代、レーダーに関心をもつなど先進的・合理的な頭脳の持ち主だった。ただしレーダーの開発を推進することは無く、その点を惜しむ声がある〔『太平洋戦争名将勇将総覧』P121。著者は妹尾作太夫。なお同書のこの記述は『柳本柳作』における同期生中堂観恵の記述からの引用である。〕。また井上成美が軍令部の軍備計画を「余りにも旧式」と批判したことが知られているが、この批判された軍備計画の主務課長であったのが柳本である〔『井上成美』P289〕。 太平洋戦争勃発直前に空母「蒼龍」艦長を拝命しハワイ作戦、ウェーク島攻略作戦、インド洋作戦等の一連の作戦に参加する。しかしミッドウェー海戦で米軍急降下爆撃機から投下された爆弾三発が「蒼龍」に命中し大破炎上、沈没直前に総員退艦命令を発令するが、柳本自身は退艦を潔しとせず艦橋に残った。「蒼龍」沈没により戦死認定を受け、翌年戦死公表と同時に海軍少将に特別進級した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳本柳作」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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