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柳沢 保恵(やなぎさわ やすとし、1871年2月5日(明治3年12月16日) - 1936年(昭和11年)5月25日)は、日本の統計学者、政治家、実業家、華族(伯爵)。 == 経歴 == 越後黒川藩主・柳沢光昭の次男として誕生。前名は光敏。保恵出生前に父の家督は養子の柳沢光邦がすでに継いでおり、明治19年(1886年)、旧大和郡山藩藩主の柳沢保申の養子となった。柳沢一族のなかの優秀な男子ということで本家の養子に選ばれた。明治19年養父保申の次女秀子と婚約し、婿養子のかたちになった。明治26年10月27日、養父保申の死去により、家督を相続した。 明治27年(1894年)7月、学習院大学を卒業した。同年10月、ヨーロッパに留学、ドイツ、オーストリア、ベルギーの大学で統計学などを学んだ。当初3年間だった留学を6年間に延長した。明治33年9月、フランスやカナダなどに立ち寄り、帰国した。大正2年(1913年)7月、柳沢統計研究所を設立した。 明治37年より貴族院議員となり、予算委員長を務めた。大正7年より東京市議会議員となり、議長を務めた。また、第一生命初代社長などを歴任。 夫人は柳沢保申の次女秀子。一男一女あり。長女露子は外交官・岡本季正に嫁いだ。なお、養父保申の長男保承を養子に迎え、家督を継がせた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳沢保恵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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