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柳沢 裕一(やなぎさわ ゆういち、1971年8月2日 - )は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(捕手)。 == 来歴・人物 == 明治大学時代は東京六大学リーグ通算55試合出場、198打数60安打、打率.303、7本塁打、30打点。ベストナイン3回。強肩で鳴らし、1試合3本塁打を記録した実績も買われて、のドラフト2位で読売ジャイアンツに入団。即戦力捕手として期待されたが、打撃が伸び悩んだことや、家庭のトラブルもありシーズンさなかに伊藤隆偉との交換トレードでオリックス・ブルーウェーブへ移籍。温厚な人柄であり、オリックスではイチローと仲が良かった。イチローがメジャー移籍を果たした現在も、時々自主トレを一緒に行い、イチローの心許せる数少ないプロ野球関係者である。には巨人時代のチームメイトの吉原孝介〔なお、両者とも99年シーズン途中で巨人を放出されている。〕との交換トレードで中日ドラゴンズへ移籍。 移籍してから最初の2年間は出場機会は少なかった。 は野口茂樹が先発の時に先発マスクを被る機会が多かった。 シーズンでは、2番手捕手として谷繁元信の故障時の穴を埋め、「スーパーサブ」として高い評価を受けた。対巨人戦でタイムリーを放ち、ヒーローインタビューで「僕はジャイアンツを出された人間ですから…何とか今日まで活躍できたことが…すごいうれしかったです。」と涙を浮かべながら言った。投手の調子を見抜く能力を高く評価され、中日で2番手捕手になるまでオリックス、中日ではブルペンを固める裏方として、までは半ばコーチのような存在で推移していた。 年間で最もヒットを打ったシーズンはの26本であるが、打点は0であった。通算打点0のまま巨人を去り(この時点での通算安打数は28)、オリックスでは打点どころかヒットも1本も打てずに中日に移籍した。その後、中日で2番手捕手の座を固めていくうちに、プロ入り初本塁打・初打点も記録した。 オフの契約更改で「スーパーサブ」を剥奪され、再び激しい競争へ。さらに追い打ちをかけるように野口茂樹が巨人にFA移籍した代わりに補償によって獲得した小田幸平が2番手捕手争いに参戦したことにより、シーズンは一軍での出場機会が0試合となり、戦力外通告を受け退団。 2007年2月、福岡ソフトバンクホークスの春季キャンプにテスト生として参加したが、不合格に終わった。引退後はイチロー選手のマネージメント会社に入ってサポート役をする傍ら〔【High-STYLE 2007年9月号 特別対談 〕〔株式会社バウ企画 〕 元中日捕手の新宅洋志が主宰する「ドラゴンズOB少年野球教室」の講師や「楽天イーグルス ベースボール・スクール」の指導者を務めた。 2015年10月13日に2016年から東北楽天ゴールデンイーグルス二軍バッテリーコーチに就任することが発表された〔新任コーチに関して 楽天公式サイト2015年10月13日配信〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳沢裕一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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