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柴﨑 晃誠(しばさき こうせい、1984年8月28日 - )は、長崎県雲仙市出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。国士舘大学卒業。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。 == 来歴 == 旧南高来郡国見町出身、小学1年生から地元国見少年サッカークラブで学んで育ち、長崎県立国見高等学校では小嶺忠敏のもと活躍した"国見っ子"である。 生まれ育った近所に徳永悠平がおり小学校から高校まで同じ学校の1年先輩、渡邉大剛とは中学からの同級生。国見高校の2年先輩に大久保嘉人・松橋章太、1年先輩に徳永・徳重健太・片山奨典・蒲原達也・近藤健一、同級に渡邉・松橋優・園田拓也・巻佑樹、1年後輩に平山相太・中村北斗・兵藤慎剛・関憲太郎、2年後輩に渡邉千真・城後寿・藤田優人がいる。柴崎が高校在学中、3年連続で高校選手権決勝に進出し2度の優勝を経験、特に2年時第80回大会では片桐淳至と共に大会得点王を記録している。 2003年、小嶺に薦められ国士舘大学へ進学、国士舘大学サッカー部へ入部する。同期に養父雄仁・金子進・金子央朋・深澤幸次・山崎祐輔。なお柏好文は3つ、塩谷司は4つ下の後輩。養父とは共にボランチとして活躍した。 大学在籍中に東京ヴェルディ1969の練習に加わり、大学卒業後の2007年に正式入団する。同年、ラモス瑠偉監督に評価されリーグ戦デビュー、同年末のJ1昇格に貢献する。2008年夏頃から柱谷哲二監督によりレギュラーに抜擢され、以降東京Vの中心選手として活躍した。2010年末、東京Vとの契約切れに伴い川崎・横浜FM・柏・神戸とJ1勢からオファーが殺到した。 2011年、川崎フロンターレへ完全移籍。この川崎でのプレーを認められ、同年5月キリンカップ2011のメンバーとして日本代表に初めて選出された。2012年も開幕当初はレギュラーだったが、同年4月右内転筋肉離れ 同年7月右股関節痛〔 で負傷離脱したところに、風間八宏への監督交代による戦術変更も重なり、出場機会が激減した。 2012年7月、川勝良一監督が獲得を熱望したことから古巣の東京Vへ期限付き移籍した〔。ただ川崎時代からの負傷の影響で13試合の出場にとどまり、同年末には川崎・東京V双方との契約が満了。 2013年、徳島ヴォルティスへ完全移籍。1年を通してレギュラーとして活躍し、同年末のJ1昇格プレーオフにも出場、徳島のJ1初昇格に大きく貢献した。 2014年、サンフレッチェ広島へ完全移籍。柴崎は2012年末フリーだった時に自身の代理人を通じて広島に逆オファーをしており、2年越しの入団となった。加入時の序列はボランチの3番手であった。 2015年、森崎浩司の怪我と工藤浩平の不調で、前年の主力2人の抜けたシャドーのレギュラーを確保。徳島時代のチームメイトドウグラスとコンビを組み、チームのリーグ優勝に貢献した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柴崎晃誠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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