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柴沼醤油 : ミニ英和和英辞書
柴沼醤油[しば]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しば]
 【名詞】 1. brushwood 2. firewood 
: [ぬま]
  1. (n,n-suf) swamp 2. bog 3. pond 4. lake 
醤油 : [しょうゆ]
 【名詞】 1. soy sauce 
: [あぶら]
 【名詞】 1. oil 

柴沼醤油 ( リダイレクト:柴沼醤油醸造 ) : ウィキペディア日本語版
柴沼醤油醸造[しばぬましょうゆじょうぞう]

柴沼醤油醸造株式会社(しばぬましょうゆじょうぞう、)は、日本醤油醸造業者茨城県土浦市虫掛に本社を置き〔つくば書店レポート部 編(2011):47ページ〕、茨城県醤油工業協同組合が併設されている〔茨城県醤油工業協同組合"組合概要:茨城県醤油工業協同組合 "(2012年7月22日閲覧。)〕。
土浦市は醤油醸造において千葉県野田市銚子市と並ぶ「関東三大銘柄地」と呼ばれていた〔柴沼(1987):495ページ〕が、市内に現存する醤油醸造業者は柴沼醤油のみである〔枻出版社(2010):65ページ〕〔"いばらき老舗物語 第1章 長寿の秘訣③ 柴沼醤油醸造"茨城新聞2011年1月27日付朝刊、A版1ページ〕。
== 歴史 ==

=== 創業と醤油屋仲間への加入 ===
元禄元年(1688年)、初代・柴沼正左衛門が創業〔本堂(1989):104ページ〕。現在の茨城県域ではダイズコムギの生産が盛んで、江戸とは利根川水系を利用した水運で結ばれていたことから、醤油醸造業に適した条件がそろっていた〔茨城新聞社 編(1981):550ページ〕。土浦には大黒屋勘兵衛や色川三郎兵衛などの醸造業者があり、これらは「江戸蔵」と呼ばれ専ら江戸に出荷していたが、柴沼醤油は創業当時から地元消費用として生産していたため、「地元蔵」と呼ばれた〔。元禄年間(1688年 - 1703年)は庶民が醤油を使い始めるようになった頃であり、自給を兼ねて利潤の高い醤油の生産が各地の町村で行われるようになったのである〔。柴沼家は藩主・土屋家の手印醤油の醸造を行っていた〔青木(2012):1ページ〕。
宝暦11年2月3日グレゴリオ暦1761年3月9日)、土浦の醤油醸造業者9名によって「醤油屋仲間」が結成された〔土浦市史編さん委員会 編(1985):506 - 508ページ〕。結成の背景には、時の老中田沼意次株仲間の結成を奨励したことや同業者増加による競争過多もあるが、直接の契機となったのは、江戸へで醤油を出荷する際に、不正を働いた者がおり、土浦のブランドに傷が付く事件が発生したためである〔土浦市史編さん委員会 編(1985):506ページ〕。柴沼醤油の柴沼庄左衛門は当初この仲間に加わっていなかったが、天明6年(1786年)より仲間に加入し〔土浦市史編さん委員会 編(1985):508ページ〕、色川家と同格として扱われた〔柴沼(1987):497ページ〕。
幕末になると醤油業者は次々と廃業に追い込まれていくが、柴沼醤油は江戸の割烹料亭への卸売という新しい販路を開拓して生き残った〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「柴沼醤油醸造」の詳細全文を読む




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