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柴田 敬(しばた けい、1902年9月2日 - 1986年5月22日)は、日本の経済学者。 == 経歴 == 福岡県福岡市生まれ。福岡商業学校、山口高等商業学校(現山口大学経済学部)を卒業後、高商時代の恩師である作田荘一を追うように京都帝国大学経済学部に入学した。そこでは、河上肇のゼミに参加した。後に、マルクス経済学と一般均衡理論の統合など世界的にも注目される理論経済学の研究を行った。この論文はポーランドの経済学者であるオスカル・ランゲの眼に止まり、高い評価を受けている〔橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、231頁。〕。 柴田は、京都帝国大学の助教授をしていたときに、ハーバード大学に留学している。そして、そこでヨーゼフ・シュンペーターのゼミナールに加わり、高い評価を得ている。伊東光晴によると、「日本の経済学者でシュンペーターのもとを訪れた者のうち、シュンペーター自身が、来る前から異常に高く評価したのは柴田敬であり、来た後に高く評価したのが都留重人であって、これ以外の人についてはほとんど評価していない」とされている〔宮崎義一、伊東光晴「忘れられた経済学者・柴田敬」経済評論53/8月号〕。また、当時のゼミ生には、ポール・サミュエルソン、ワシリー・レオンチェフ、ポール・スウィージー、都留らがいた。そして、帰途には、吉田茂の仲介により、英国でケインズとの面会を果たした。伊東光晴によれば、「日本人としては、ただ一人ケインズと議論らしい議論を行った経済学者」。帰国後京大教授となりゼミで杉原四郎らを教えた。 その後、経済ブレインとして、近衛文麿の経済体制革新運動や天皇による早期終戦工作等に関わるようになったが、戦後になるとGHQにより公職追放となる。追放解除後、山口大学教授・経済学部長、青山学院大学教授・経済学部長も務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柴田敬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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