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柴田 未崎(しばた みさき、1977年6月18日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) の騎手、調教助手である。 1996年にJRAの騎手となり、2011年3月31日に引退するまで、通算82勝を挙げた。その後調教助手に転身し、美浦トレーニングセンターの斎藤誠厩舎に所属したが、2013年より再び騎手試験を受験し合格、騎手に復帰することとなった。 双子の兄・柴田大知もJRAの騎手であり、双子の騎手はJRA史上初めての事であった〔読売新聞 2013年5月6日 栃木版 朝刊 31面〕〔一方がJRA、もう一方が地方競馬所属の双子騎手としては、水野貴広・水野貴史兄弟が既にいた。また両方が地方競馬の所属の双子騎手としては竹田吉孝・竹田吉秀兄弟や、かつて兵庫に在籍していた松本良平・松本心平兄弟の例もあった。〕。同期に他に福永祐一・和田竜二らがおり、いわゆる競馬学校花の12期生のひとりである。 == 来歴 == 栃木県宇都宮市出身〔。1996年、高木嘉夫厩舎所属の騎手としてデビューし、同年6月マイネルダンケに騎乗して初勝利を達成。また同年8月3日の新潟競馬第8競走では兄弟で上位を独占する(1着・未崎、2着・大知)など、デビュー初年度は12勝を記録する。 その後勝利数を伸ばしたものの、減量騎手から外れる1999年以降は騎乗数・勝利数ともに低迷し、2003年より障害競走への騎乗を始め、2004年障害競走初勝利を記録。 このころより騎乗の場を障害競走へと移すも、平地・障害双方にて重賞勝利などの特筆すべき実績はなく2011年3月31日付で騎手を引退。斎藤誠厩舎で調教助手となった。 しかしその後、兄・大知がGI制覇を達成するなどの活躍を見せ、それに触発された未崎は騎手復帰を志すようになる。 JRAが騎手の人材不足を解消するため、2013年の騎手試験より元騎手について一次試験の技術科目を免除するなどの制度改正を行ったことも、再受験を後押しする形になった 。 2013年、新規騎手免許1次試験に競馬学校卒業生以外でただひとり合格、翌2014年の2次試験にも合格し、同年3月より騎手に復帰することとなった。 当初は美浦の斎藤誠厩舎の所属であったが、2014年7月1日付けでフリーとなり主に栗東所属厩舎の馬に騎乗している。 7月27日、福島9Rでヴァンデミエールに騎乗して1着となり、復帰後初勝利を挙げた。初勝利まで77戦を要し、レース後は涙で声を詰まらせる場面もあった。また再デビューの同期(2014年度デビュー騎手)の他6名は既に初勝利を挙げており、一番遅い初勝利となった(柴田の初勝利時のプラカード持ちをしたのは、その同期にあたる石川裕紀人と木幡初也)。 2015年9月1日付けで栗東トレーニングセンター・フリーに所属変更となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柴田未崎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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