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査 継佐(さ けいさ、1601年 - 1676年)は明代末期の文人。浙江海寧の出身。 父は查爾翰。貧しい家の出だが、1633年(崇禎6年)に科挙の郷試に合格し挙人となった。 1644年、明の滅亡時には、自軍を率いて浙東地区にて抵抗したが、1646年(順治三年)に清によって陥落。それからは「左尹非人」と改名し、隠居して過ごす。 その後は、各地で講義を行ったり、史書の編纂などを手がけた。著書に『罪惟錄』『国壽錄』『魯春秋』『東山国語』『班漢史淪』『續西廂』等がある。 武俠小説の大家、金庸(本名:査良鏞)の先祖である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「査継佐」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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