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柿沼 竹雄(かきぬま たけお、1868年 8月20日(慶応4年7月3日)〔『人事興信録』第5版、か133-134頁。〕 - 1951年(昭和26年)〔『栃木県歴史人物事典』179頁。〕)は、日本の文部・内務官僚。官選県知事。 ==経歴== 下野国都賀郡鹿沼町(現栃木県鹿沼市)出身〔。今宮神社社家・柿沼雅雄の長男として生まれる〔〔。祖父、日光二荒山神社宮司・柿沼広身の薫陶を受けた。柿沼の教育のため一家で東京に移住〔。 第一高等学校を経て、1898年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。文部省に入省。1900年11月、文官高等試験行政科試験に合格した〔『新編日本の歴代知事』124頁。〕〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』180頁。〕。 1901年4月、福島県視学官に就任。以後、徳島県視学官、同県事務官、宮崎県事務官・第一部長兼第三部長〔『官報』第6925号、明治39年7月30日。〕、山梨県事務官・内務部長、岩手県内務部長などを歴任〔。 1916年10月、高知県知事に就任。県庁舎・県会議事堂の改築、水害対策などに尽力〔『新編日本の歴代知事』946頁。〕。1919年4月、岩手県知事に転任〔。1922年10月、知事を休職〔『官報』第3065号、大正11年10月18日。〕。1923年2月28日に依願免本官となり退官した〔『官報』第3173号、大正12年3月1日。〕。 その後、愛国婦人会事務局長、実践女学校専務顧問、済生会理事などを務めた〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柿沼竹雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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