|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 素 : [もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 霊 : [れい] 【名詞】 1. soul 2. spirit 3. departed soul 4. ghost
栁谷 素霊(やなぎや それい、1906年11月6日 - 1959年2月20日)は、日本の鍼灸師である。籍名は清助。享年54(満52歳)。弟子に岡部素道、井上恵理、本間祥白、小野文恵がいる。 == 人物像 == 1906年(明治39年)11月6日、青森県青森市に生まれる〔「創立者栁谷素霊」 、東洋鍼灸専門学校公式サイト(2009年10月4日閲覧)〕。幼少期は函館市で過ごし、高等小学校卒業後、音尾正衛が校長を務める日本鍼灸専門学院に入学し、翌年1923年(大正12年)、鍼・灸術資格試験に合格〔山崎治助「故栁谷さんの少年時代」『漢方の臨床』1959年、6巻、8号、p475〕。1927年(昭和2年)、日本大学法文学部宗教科に入学。素霊鍼灸塾(現・東洋鍼灸専門学校)を創設する。素霊と号す。1931年(昭和6年)、東京鍼灸医学研究所を結成、機関誌『東京鍼灸医学誌』を発行する。1934年(昭和9年)、日本漢方医学会を結成。1934年(昭和10年)日本高等鍼灸学院を創設。1937年(昭和12年)拓殖大学漢方医学講座が始まり講師となる。1938年(昭和13年)、雑誌『蓬松』を刊行。医道の日本社を創設。東亜医学協会の理事となる。1940年(昭和15年)に古典に還れをスローガンに岡部素道、井上恵理らと古典鍼灸研究会を創設〔素霊は「古典的治療に還れ」と言った、「古典に還れ」の合い言葉は竹山晋一郎が作ったという説がある。『柳谷素霊に還れ』医道の日本社、2009年〕。1943年(昭和18年)、日本鍼灸医学研究所を結成。顧問となる。所長に駒井一雄医師、副所長に竹山晋一郎、主任に本間祥白を迎え、弟子である岡部素道に(霊枢)、井上恵理に(難経)、小野文恵に(鍼灸重宝記)を研究するように命じた。「日本鍼灸医学術」発刊、全8巻。1955年(昭和30年)、フランス国際鍼灸会の招聘により渡欧、フランス、ベルギー、西ドイツの学会で日本の古典鍼灸術を紹介。フランス、パリ鍼学会顧問に就任。1957年(昭和32年)、東洋鍼灸専門学校を創設、初代校長に就任。1959年(昭和34年)2月20日に東京逓信病院にて、永眠。享年54(満52歳)〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳谷素霊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|