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栃乃洋 : ミニ英和和英辞書
栃乃洋[の]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
  1. (prt) (1) (uk) indicates possessive 2. (2) verb and adjective nominalizer (nominaliser) 3. (3) indicates question (sentence end)

栃乃洋 ( リダイレクト:栃乃洋泰一 ) : ウィキペディア日本語版
栃乃洋泰一[とちのなだ たいいち]

栃乃洋泰一(とちのなだ たいいち、1974年2月26日 - )は、石川県七尾市出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は後藤 泰一(ごとう たいいち)、愛称はタイチ。現役時代は身長187cm、体重165kg、血液型はO型。趣味は「読書」。得意手は左四つ、寄り、下手投げ掬い投げ突き落とし。最高位は東関脇2001年5月場所)。現在は年寄・竹縄
== 来歴 ==
漁師の長男で、小学生の頃から相撲を始める。七尾商業高校(現・七尾東雲高校)を経て、拓殖大学3年生の時には全国学生相撲選手権大会で優勝して学生横綱に輝いた。拓殖大学相撲部監督の兄であり、中学校・高校・大学を通しての先輩である千賀ノ浦親方(元関脇・舛田山)を頼る形で春日野部屋へ入門し、1996年1月場所にて幕下付出初土俵を踏んだ。
1996年11月場所に新十両へ昇進し、その場所で13勝2敗の成績を挙げて初の十両優勝を果たした。1997年5月場所に新入幕を果たすと、翌7月場所・続く9月場所と2場所連続して敢闘賞を受賞する活躍を見せた。そして初土俵から11場所連続となる勝ち越しで同年11月場所には東小結へ昇進した。その後も長らく幕内上位に定着して活躍し、2001年3月場所には東関脇へと昇進、その場所で8勝7敗と勝ち越して初の殊勲賞を獲得した。2005年7月場所に右大腿屈筋腱損傷という重傷を負って途中休場し、東前頭17枚目の位置まで降下した翌9月場所では7勝8敗と負け越し、翌11月場所では西前頭17枚目の位置に留まったもののその場所でも7勝8敗と負け越してしまい、翌2006年1月場所では十両へと陥落した。これにより自身の連続幕内在位記録が52場所で途切れたが、翌3月場所では東十両筆頭の位置で13勝2敗の成績を挙げて2回目の十両優勝を果たし、翌3月場所において幕内へ復帰した。
左四つからの速攻と強力な下手投げを武器とした活躍で、現役時には計12個もの金星を挙げている。同じ石川県出身の大関出島金沢市出身)とは、現役時代は同学年のライバル同士であった。
2004年9月に千賀ノ浦親方が春日野部屋から分家独立するに際しては共に移籍する話もあったものの、本人の意志により春日野部屋に留まった。同年12月27日に年寄名跡竹縄を取得した。
現役後期では以前のような勢いのある相撲は影を潜め、主に幕内中位から下位にかけて在位することが多くなり、十両への陥落も見られるようになったものの、それでも十両では自身の地力の違いを示していた。2011年7月場所途中に魁皇が現役を引退したため、その後は関取における最年長力士となった。東十両8枚目の位置で迎えた2012年1月場所に3勝12敗と大敗して幕下への陥落が濃厚となり、同場所の千秋楽に引退を表明、年寄・竹縄を襲名した。現在は春日野部屋の部屋付きの親方として後進の指導に当たっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tochinonada Taiichi 」があります。




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