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栃乃若 導大(とちのわか みちひろ、1988年4月6日 - )は、兵庫県尼崎市出身で春日野部屋に所属していた元大相撲力士。本名は李 大源(イ・デウォン)、愛称はリー。在日韓国人の父親と韓国人の母親を持つ在日3世。国籍は韓国。〔入門前に栃ノ心が在籍しており、現役時代の春日野部屋には常に生え抜きの外国人力士が2人いた(預かり弟子の碧山や移籍とほぼ同時に引退した阿覧を含めれば一時期4人同時に外国人力士が在籍していた)が栃乃若は入門時点で既に10年以上日本に在住していたため、外国人枠の制限を受けなかった。〕〔次代の大関候補、体は横綱級 大相撲・栃乃若(上) (1/2ページ) 日本経済新聞 2012/2/18 7:00 〕身長196cm、体重181kg。〔栃乃若、1・17に快勝/初場所 nikkansports.com 2014年1月18日9時47分 : 2013年末の計測では1年間で身長が2センチ伸びて197cmとなった様子が報道された。〕血液型はAB型。得意手は左四つ、寄り。最高位は西前頭筆頭(2012年3月場所)好物は味噌炊きのちゃんこ鍋。 == 来歴 == === 入門前 === 幼少期より体格に恵まれており、尼崎市立成徳小学校1年生の頃にドッジボールを行った際に投げたボールが同級生の顔面に直撃してしまったことで周りの同級生との体格差を痛感した担任教師がドッジボールで利き腕で投げることを禁じたという逸話を持っている。〔小学2年生の時に尼崎市のちびっこ相撲大会に出場し、これが生まれて初めての相撲大会出場となった。結果は2位に終わったが優勝を逃した悔しさから翌年の夏休みに開かれた相撲教室に通い、5年生になってからは相撲道場で本格的に稽古を始めた。他に柔道も習い、小学校卒業時点では身長180cm、体重120kgの巨体に育っていた。そんな李に目を付けていたのは実家に近い報徳学園中・高で当時相撲部の監督を務めていた福田耕治であり、李本人も「甲子園でも有名な報徳で好きな相撲も取れるなら」と中学からの入学を決めた。〔次代の大関候補、体は横綱級 大相撲・栃乃若(上)(2/2ページ) 2012/2/18 7:00 〕 報徳学園中学校を経て報徳学園高校に進学し、2006年・高校3年生の時に高校横綱になった。インターハイ個人戦前夜に小学校時代の恩師と深夜まで話し合い「あした優勝したらプロにいけばいい」と腹を決め、実際に優勝したことで気持ちが固まり、福田と親交があった春日野が師匠を務める春日野部屋に入門した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「栃乃若導大」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tochinowaka Michihiro 」があります。 スポンサード リンク
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