|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 天 : [てん] 【名詞】 1. heaven 2. sky ・ 正 : [ただし, せい, しょう] 【名詞】 1. (logical) true 2. regular ・ 嵩 : [かさ] 【名詞】 1. bulk 2. volume 3. quantity
栃天晃 正嵩(とちてんこう まさたか、1967年2月19日 - )は、群馬県高崎市出身の元大相撲力士。現役時代は、春日野部屋に所属した。本名は島方 守(しまかた まもる)。現役当時の体格は180cm、152kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。血液型はB型。趣味は睡眠と酒。自己最高位は東十両4枚目(1993年9月場所)。 == 来歴 == 中学時代は柔道の道場に通っていたが、相撲の大会にも駆出されることが多く、群馬県大会で優勝し全国大会に出場するなど活躍した。知人の紹介で中学卒業と同時に春日野部屋に入門。1982年3月場所で初土俵を踏んだ。 以降、順調に番付を上げて行き、初土俵から3年半たった1985年9月場所で幕下に昇進。1990年5月場所では幕下唯一の6戦全勝としたが、幕下優勝のかかった7番相撲で星違いの琴の若に敗れ、1敗力士8人による決定戦の末、優勝を逃す(優勝は林)。幕下上位で苦労したものの1991年1月場所で新十両に昇進。以後十両と幕下との往復はあったが、1993年9月場所では自己最高位となる東十両4枚目まで番付を上げた。新入幕の期待もあったが序盤から星が伸びず、後半やや持ち直したものの結局6勝9敗と負け越してしまい入幕はならなかった。1996年7月場所、西幕下3枚目で6勝1敗の星を残し再十両を確実とする。この場所、幕下で6戦全勝の広瀬山と大日ノ出が13日目、7番相撲で共に敗れた(2人は同部屋のため、6戦全勝同士の直接対決が組まれず双方星違いの力士に敗れた)ため、2度目の幕下優勝決定戦出場を果たしている(準決勝で同部屋の後藤に敗れる。優勝は金作)。翌1996年9月場所、十両に復帰したものの1勝14敗と大敗を喫し、一場所で幕下に逆戻りし、陥落した場所は一気に幕下の二ケタ台まで番付を落とし、後述のように幕下上位まで番付を戻した場所もあったが以後十両復帰は果たせなかった。2000年11月場所後には若者頭転身を打診されたが、現役にこだわりたいとの理由から辞退した(若者頭には弟弟子の元前頭11・栃乃藤が就任した)。2002年7月場所では西幕下4枚目で6番相撲を終えて3勝3敗とし千秋楽の7番相撲に勝てば十両復帰が濃厚であったが、十両琴冠佑とのベテラン対決に敗れ復帰はならなかった。体力の衰えにより、立ってすぐ叩く相撲が多くなり、2007年には三段目に陥落したが、41歳となった翌年に幕下に復帰している。 2007年11月28日、元三段目で戦後の年長記録を更新してきた一ノ矢が引退したことにより角界最年長力士になった。また、蔵前国技館を経験した最後の現役力士でもあったが、彼の引退によって蔵前国技館を経験している現役力士は一人もいなくなった。 2008年5月場所は、現役在位158場所目に当たり、元小結・大潮の記録を抜き史上1位の記録保持者となった。 また、幕下在位も100場所を超えており、相撲教習所の指導員を長く務め新弟子たちを熱心に指導した。 2010年1月場所では42歳の現役最年長ながら三段目の地位で6戦全勝の好成績を挙げ優勝決定戦まであと1勝としていたが13日目の七番相撲で敗れ、最年長での各段優勝を逃した。3月場所でも5勝2敗と勝ち越し、5月場所で戦後最高齢となる43歳2カ月での幕下復帰を果たしたが、その幕下に復帰した場所が最後の勝ち越しとなった。 三段目下位であった2011年1月場所で途中休場し負け越したため、翌5月技量審査場所の順席にて関取昇進後初の序二段へ陥落(1984年3月場所以来162場所ぶり)。その場所限りで引退した。引退時の力士褒賞金は114円に達しており、これは最高位が十両の力士としては史上最高額である。ただし力士褒賞金は十両以上の力士にしか支給されないので実際に受領していたわけではない。 現在は、栃木県内の飲食店に勤務しているという。 新十両昇進を果たす前年、先代師匠(元横綱・栃錦)が逝去、結果的に先代の一周忌を前に関取昇進を果たしたが、本人は昇進時のインタビューで「先代に関取の晴れ姿を見せてあげたかった」と話していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「栃天晃正嵩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|