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栃櫻 光輝(とちざくら みつてる、1947年2月11日-)は、かつて春日野部屋に所属していた元力士。弓取も担当した。廃業(引退)後に大河ドラマ「黄金の日日」に出演した。本名は高橋 光彌。2009年より満矢に改名。〔「関取なのにキャバレー社長だった」ハチャメチャ力士・元栃桜が角界に喝! 月刊サイゾー 2011.02.26 〕 山形県最上郡舟形町出身。177cm、121kg。最高位は東十両4枚目。〔大相撲力名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709〕〔http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=4274&l=j 〕 == 来歴 == 中学1年生の頃に山形に地方巡業でやってきた栃錦に勧誘され、5,000円(現在の5万円に相当する)の小遣いをもらったことで入門の決意が固まり、見習生活を経て1962年1月初土俵。初土俵時には14歳であった。上京して以降地元の中学には籍を置いたまま二度と登校せず、実質中学中退であると後年明言している。〔自著『どっこい人生』(サイゾー)〕 かの大横綱・北の湖にして「栃桜さんのハチャメチャぶりは、どの力士もかなわなかった」と言わしめるほど破天荒な土俵生活を送ったことで知られている。稽古中に先輩力士を殴り、軍配に不服があれば行司を土俵下まで追っかけまわし、弓取式で弓をへし折り、博打や女遊び、侠客との交際も堂々と行うなどの暴れん坊ぶりであった。 1970年11月に新十両を果たすも、十両時代には観客に笑顔で手を振って厳重注意を受けた経験がある。同じく十両時代にはタニマチが経営するキャバレー10店舗の名義貸しをして名ばかり社長を務め、当時の横綱の給料をも凌ぐ額となる100万円近くもの月収を得ていたと自ら明かしている。名義上経営者を務める店舗で問題が起これば新宿署や池袋署へ呼び出され、羽織袴と丁髷の姿で始末書を書くといったこともあった。同時昇進した同部屋の十両・栃葉山は親友でもあり、45歳の若さで早世したことは本人も著書で偲んぶばかりであった。1974年5月、27歳で廃業。廃業後は新宿歌舞伎町でちゃんこ鍋屋やクラブなどを経営。その破天荒な力士ぶりは、漫画『のたり松太郎』のモデルになったという説がある。。 入幕は果たせなかったが、十両力士として幕内の土俵には一度立っており(1971年9月場所千秋楽の大雪戦)、白星を挙げている。 立合い正常化を巡る問題では元十両の立場で「相撲の醍醐味である呼吸の読み合いや、立ち合いのパワフルでスピード感のあるぶつかり合いがなくなってしまう」という点からきちんと腰を割って手を下す立合いには否定的な意見を示した。〔相撲の魅力を半減させる「立合い問題」について 月刊サイゾー 2009.01.18〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「栃櫻光輝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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