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栄 厚(えい こう、)は、清、中華民国、満州国の政治家。奉天派の政治家であり、満州国では初代満州中央銀行総裁となった。字は叔章。号は樸齋。満州鑲藍旗の人物。 == 事績 == === 奉天派の一員として === 北京国子監の出身で、1891年(光緒17年)に刑部で任官。以後、各職を歴任し、1910年(宣統2年)には奉天造幣廠総弁となる〔『大満洲帝国名鑑』、11頁。〕。中華民国成立後も引き続き奉天省で各職を歴任した。 1920年(民国9年)1月20日、10年以上も奉天省で各職を歴任した栄厚は、ここで吉林省に転じることになり、同省実業庁長署理〔「署理」とは、「事務取扱」を意味する。〕を命ぜられた。翌1921年(民国10年)1月、黒竜江省へ転じ、同省財政庁庁長等各職を歴任する。黒竜江省での在職は結局1年にも満たず〔1921年1月に栄厚が異動してきた当初の黒竜江省督軍は孫烈臣。同年3月、孫が吉林省督軍に移ったため、呉俊陞が後任となっていた。〕、同年11月、吉林省財政庁庁長として吉林省に復帰した。 これ以降、栄厚は吉林永衡官銀銭号監理官を務めるなど、吉林督軍の孫烈臣、張作相〔1924年(民国13年)4月に孫烈臣が死去、張作相が後任の督軍となった。〕を補佐する財政担当者としての地位を占めることになる。張学良が易幟した後も、張が同省政府主席、栄厚が同省財政庁長をそれぞれ務めた。これらの実績から、栄厚は「財政通」として知られることになった〔尾崎監修(1940)、6頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「栄厚」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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