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栖本通次 : ミニ英和和英辞書
栖本通次[すもと みちつぐ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [つう]
  1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc. 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

栖本通次 : ウィキペディア日本語版
栖本通次[すもと みちつぐ]
栖本 通次(すもと みちつぐ、生没年不詳)は17世紀江戸時代初期に活動した武将。熊本藩士。通称は又七郎。柄本又七郎とするのは誤り。栖本親高の甥・又七郎鎮弘(しげひろ)の子。
==経歴==
栖本氏戦国時代天草五人衆の一つに数えられた土豪であった。父の鎮広の代に加藤清正に仕えたが、清正の子・忠広改易されると、新領主となった細川忠利に仕えた。
忠利の子・光尚が藩主となった翌年の1643年阿部権兵衛が、先代・忠利の法事で髻を切る行為に出て投獄された。阿部一族は屋敷に立てこもり、通次は上意討ちの討ち手として2月17日の討ち入りに加わった。阿部一族はことごとく討ち取られ、権兵衛も処刑された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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