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栖賢寺[せいけんじ]
栖賢寺(せいけんじ)は京都市左京区上高野にある臨済宗の仏教寺院。 == 歴史 ==
* 『摂津名所図会』に「尼崎寺町にあり。禅院十刹のその一なり。秀吉公、山崎合戦の時、勝利ありて、諸侯を饗したまふ所なり。腰掛松 当寺にあり。秀吉公、この松に腰をかけられて、山崎合戦の軍令を定めたまふ古跡なり」とある摂津国の禅院十刹の一つ。 * 『尼崎志』には康永年間(1342~1345)竺堂開基、のち兵火に衰退するが廣徳寺とともに笑嶺宗訴中興とある。また、栖賢寺は本寺大徳寺と同じく赤松氏の建立になるものとしている。中世には大物町にあったが、近世になって尼崎城築城にともない元和年間(1615年~1624年)に寺町に移転。近代になり無住となり荒廃。 * 昭和7年(1932年)に兵庫県尼崎市寺町から京都市左京区の現在地に移転再建された。 堂宇に本堂・金鳳閣・如意輪堂・隠寮・庫裏・土蔵・鐘楼等。梵鐘「千人鐘」は昭和6年(1931年)鋳造の千百余人の結縁合力による。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「栖賢寺」の詳細全文を読む
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