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栗原 亮一(くりはら りよういち、1855年5月6日(安政2年3月20日〔『栗原亮一君小伝』1頁。〕〔『人事興信録』初版、682頁では「3月21日」。〕)- 1911年(明治44年)3月13日〔『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』233頁。〕)は、明治期の政治家、ジャーナリスト。衆議院議員。旧姓・中村。 ==経歴== 志摩国鳥羽藩士・中村武市の三男として生まれ、同藩士・栗原亮休の養子となる〔『衆議院議員列伝』345頁。〕〔『栗原亮一君小伝』1頁では「中村武一の次男」。〕。藩校で漢学を修める〔『人事興信録』初版、682-683頁。〕。明治の初めに上京し同人社で学んだ〔『朝日日本歴史人物事典』597頁。〕〔『海を越えた日本人名事典』新訂増補、276頁。〕。 1876年、自主社を創立し『草莽雑誌』『莽草雑誌』を刊行して政府批判を行う〔〔。自由民権運動に加わり自由党の結党に参加〔〔。『自由新聞』の主筆を務め、1882年、板垣退助の渡欧に随行した〔〔。『東雲新聞』の主筆となり、大同団結運動に加わった〔。 1890年7月、第1回衆議院議員総選挙において三重県第一区から出馬し当選〔。その後、第10回総選挙まで連続10回の当選(第2回総選挙は補欠当選)を果たした〔。1898年6月、第1次大隈内閣が成立し、板垣退助が内務大臣となると同大臣秘書官に就任し、さらに大蔵省参事官兼監督局長を務め、同年11月の同内閣退陣に伴い退官した〔〔。その他、日本興業銀行設立委員、南満州鉄道設立委員を務めた〔。 1909年、日本製糖汚職事件で検挙され、同年5月10日に衆議院議員を辞職〔『官報』第7760号、明治42年5月11日。〕。同年7月3日に、東京地方裁判所第二刑事部において重禁固5ヶ月の有罪の判決が言い渡され〔「日糖事件 - 汚職事件と検察権の拡大」504-511頁。〕、その後、判決を不服として控訴、上告を行ったが、同年12月17日に大審院で判決が言い渡され、上告棄却となり、有罪が確定した〔「日糖事件 - 汚職事件と検察権の拡大」498頁。『東京朝日新聞』1909年12月18日、朝刊5頁。〕。その後、皆無斉と号した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「栗原亮一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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