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栗林 五朔(くりばやし ごさく)は戦前日本の実業家、政治家。新潟県三条市出身。北海道室蘭市で物流事業を起こし、栗林商会、栗林商船等を創立、登別温泉軌道を経営する一方、北海道会議員、衆議院議員を歴任し、室蘭港及び登別温泉の開発に尽力した。晩年の号は蕙堂。 == 生涯 == === 修学 === 慶応2年(1866年)5月1日、越後国蒲原郡西大崎村の豪農栗林得太郎の長男として生まれた〔『追憶録』 p.47〕。西大崎村宝蔵寺小学校を経て、1876年(明治9年)官立新潟英語学校に入学、1879年(明治12年)三島郡遠藤軍平の西軽塾に移るも廃校となり、1880年(明治13年)河根川村青柳剛斎の菁莪学舎に入門、1882年(明治15年)帰郷して大崎校訓導兼校長田沢忠松に学び、1883年(明治16年)東大崎村北溟義塾で山田錫に学んだ〔『追憶録』 p.52-53〕。 1884年(明治17年)2月父が死去したため、父の起こした製紙事業を継ぐこととなったが、1885年(明治18年)これを支配人栗林吉次に託して上京し、叔父鈴木長蔵の経営する新潟物産東京支店長鈴木周四郎方に身を寄せた〔『追憶録』 p.53-54〕。簿記学校で商業簿記を学んだ後、1886年(明治19年)帰越して新潟物産本店に勤めたが、この頃大同団結運動に感化され、伯父鈴木長蔵の東北日報(新潟新聞)経営に加わった〔『追憶録』 p.55〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「栗林五朔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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