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栗林 誠一郎(くりばやし せいいちろう、1965年2月11日 - )は、日本の作曲家、シンガーソングライター、ベーシスト、ギタリスト、キーボーディスト。東京都出身。血液型はA型。 ==人物== 高校中退後、ロサンゼルスに4年間留学。帰国後2年間はデモテープ作りに励む。1987年にTUBEのアルバム『SUMMER DREAM』の『Stay in my eyes』『憧れのハワイ航路』、BLIZARDの『DREAM TENTION』(松川敏也との共作)で作曲家デビュー。また渚のオールスターズの『渚のカセットvol.1』でボーカル初披露。1988年にTUBEのベーシストの角野秀行が交通事故による休業のため、TUBEのライブツアーにサポートベーシストとして参加。 1989年に『LA JOLLA(ラ・ホーヤ)』でソロデビュー。1990年に『おどるポンポコリン』を歌っていたB.B.クィーンズにベーシストとして参加し、第41回NHK紅白歌合戦に出場。 1993年にZYYGとして活動するも(元々は、元グラスバレーの出口雅之とREVを結成する予定であるが、音楽性の違いにより、REVは出口のソロユニットとなった)1994年に脱退。その間にもZARD、MANISH、DEEN等に楽曲提供をし、1994年にはオリコン作曲家シングルセールス6位を達成。 1995年にBarbierとして活動。同年リリースした、『Rest of My Life』以降は、英語での作詞、セルフプロデュースである。ギターでレコーディングをすることがあるものの、本人曰く、「ギターはあまり弾けない」とのこと。また、ライブでは、サポートミュージシャンとして参加しているDIMENSIONと行うも、トークをする一面も。 1997年のライヴMC中に、サポート参加していた増崎孝司の口から間接的ではあるが「他者への楽曲提供はしない」と公表。栗林はコンポーザーとして名前が知られていたため、多くのファンは冗談と受け取っていたが、その後発表される栗林の曲は激減し、発表された曲も多くがストックとされている。 1998年9月22日に渋谷CLUB QUATTROにて行われたライヴを最後に表立った活動を停止する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「栗林誠一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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