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栗橋城(くりはしじょう)は、下総国葛飾郡にあった古河公方ゆかりの日本の城。現在は茨城県猿島郡五霞町元栗橋地内、法宣寺の西から南西に位置する。 == 歴史 == 室町時代あるいは戦国時代に古河公方家重臣・野田氏の居城になって、古河城の支城網を形成した。野田氏は鎌倉公方奉公衆かつ古河城の城主だったが、享徳4年(1455年)、第5代鎌倉公方・足利成氏が古河城に移座した後、自身は栗橋城に移って、古河公方となった成氏を支え続けた。しかし永禄年間(1558-1570年)、城主が野田景範のときに後北条氏により城は接収され、北条氏照の北関東攻略の拠点となっている〔例えば、黒田基樹 『古河公方と北条氏』 岩田書院、2012年、77 – 89頁(栗橋城主野田氏の没落)〕。このとき野田氏は北条氏の傘下に組み入れられたと考えられる〔茨城城郭研究会編 『図説 茨城の城郭』 国書刊行会、2006年、185頁(栗橋城)〕。 栗橋城は古河公方の古河城、および公方重臣・簗田氏の関宿城・水海城と同様に河川沿いに立地しており、奥大道(鎌倉街道中道)とも接続した水陸交通の要衝だった〔『総和町史 通史編』、511-523頁(関東の二大河川水系と水海・内山俊身執筆)〕。さらに、この城の位置は中世関東の「二大河川水系」連結点でもあった。二大河川とは、常陸川水系、および、旧利根川・渡良瀬川(太日川)水系で、当時の常陸川は現在の利根川下流域・霞ヶ浦・北浦・太平洋につながり、旧利根川・渡良瀬川は現在の東京湾につながって、両水系は独立していた。この二大河川水系の連結のため、旧利根川・渡良瀬川に接する古河と元栗橋(栗橋城)、および、常陸川に接する水海(水海城)と関宿(関宿城)にて荷物を積み替えて、両方の港津間を陸送するルートが用いられたと考えられており、栗橋城はこの水陸交通網の一端を担っていた〔。 天正18年 (1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐後に徳川家康の家臣・小笠原秀政が古河藩に入部した際には、古河城修復の間、秀政は本城を居城としたが、修復が終わり古河城に移った後は廃城となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「栗橋城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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