|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 栗 : [くり] 【名詞】 1. Japanese chestnut 2. castanea crenata ・ 橋 : [はし, きょう] 【名詞】 1. bridge ・ 宿 : [やど] 【名詞】 1. inn 2. lodging
栗橋宿(くりはしじゅく)は、江戸時代に整備され、栄えた宿場町の一つ。現在の埼玉県久喜市栗橋区域に相当する。 日光街道の江戸・日本橋から数えて7番目の宿場であるが、当宿と利根川対岸の中田宿は合宿の形態をとっており、両宿合わせて一宿とする記述も有る。 == 概要 == === 栗橋宿 === この地は利根川の渡河地点にあたり、日光街道から江戸への出入りを監視する関所が置かれ、江戸の北方を守る要地であった。街道が整備される以前に町は無く、日光街道は手前の幸手宿から北東に向かった栗橋村(後に元栗橋村に改称、現・茨城県猿島郡五霞町元栗橋)に渡船場があり、”房川渡し・栗橋”とよばれていた。慶長年間に地元の池田鴨之助、並木五郎平の出願により、現在の栗橋地区となる上河辺新田が開墾された。1616年(元和2年)に街道筋が付け替えられ、現在地に正式な宿駅として栗橋宿が成立した。 1843年(天保14年)当時の人口は1,741人、家数404軒、本陣1、脇本陣1、旅籠25軒との記録が残る。 なお、前述の通り栗橋宿と利根川対岸の中田宿は合宿の形態をとっており、荷物や人夫の継ぎ立てを行う問屋の業務は半月毎の交代制であった。また、本陣を代々務めたのは栗橋宿の開宿に尽力した池田鴨之介から続いた池田家で、現在も本陣跡地に健在である。その他の町並みも駅より比較的離れたところにあるためか旧家が所々に残り、旧宿場町の面影を感じさせる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「栗橋宿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|