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栗橋 茂(くりはし しげる、1951年8月10日 - )は、東京都板橋区出身の元プロ野球選手(外野手)、野球解説者。 == 来歴 == 帝京商工高等学校では、夏の甲子園都予選準々決勝に進出するが、日大一高に敗退。3年生時、東京六大学リーグ各校からも勧誘があったが、「(左腕)投手転向を見越しての獲得を目指した六大学より、打者としての自分を評価してくれた」という理由で駒澤大学へ進学した。東都大学リーグでは在学中2度優勝。の明治神宮野球大会では、同期のエース赤津宏二(日立製作所)を擁し、決勝で田尾安志のいた同志社大を降し優勝を飾る。リーグ通算92試合出場、320打数98安打、打率.306、8本塁打、47打点。最高殊勲選手1度(秋季)、ベストナイン4度受賞。赤津以外の同期に木下富雄、吉田秀雄(新日鐵名古屋)、2学年後輩に“駒大三羽烏”(中畑清、平田薫、二宮至)がいる。 のドラフト1位で近鉄バファローズに入団。東京出身の栗橋は「僕は東京出身だから近鉄のことはあまり知らなかったですよ。あの頃は、ほんとたまにNHKで中継があるくらいだったしね。ドラフトでも、前もって話はなかったからびっくりしたというか。」と語っている〔近鉄バファローズ球団史1950-2004、ベースボール・マガジン社、2012年、P52-P53〕。1位ではあったけど、仲間も誰も「おめでとう」と言ってくれなかった。「近鉄って関西じゃ会社大きいらしいぞ」しか言われなかったという〔。身長177cmと決して大柄とはいえない選手だったが、和製ヘラクレスと通称されるほどの鍛え上げた筋骨隆々の体を持っており、パンチ力のある打撃が特徴の選手であった。栗橋は「僕は和製ヘラクレスとも言われたけど、ウエートはほとんどしていないんです。キャンプの時期や自主トレではしていたけど、シーズン入ってからしなかった。変な筋肉つけちゃいけないっていう時代ですかね。今思えば、やってたらもっと長持ちしていたからな。最後は完全に力が落ちましたからね。」と語っている〔。プロ入りして3年目のに101試合に出場してレギュラーを獲得。5年目のには初めて規定打席に到達し、4番打者として20本塁打を放つなど不動のレギュラーを獲得した。 は自己最多となる32本の本塁打を放ち、近鉄球団史上初のリーグ優勝に大きく貢献し、ベストナインにも初めて選出された。さらにには打率.328(リーグ3位)、28本塁打、84打点の好記録を残し、2年連続のリーグ優勝に貢献。最高出塁率のタイトルを獲得し、ベストナインにも再び選出された。 は再び打率3割を記録(.311)、79打点などの活躍で3度目のベストナインに選出。また、5月21日に大阪球場で行われた対南海ホークス戦においてサイクル安打を達成した。は規定打席には達しなかったが、代打中心で.298を記録した〔。 近鉄が9年ぶりのリーグ優勝を決めたシーズンを最後に現役引退。仰木彬が監督になった時阪神タイガースからトレードの話があったが栗橋は仰木に「出したいんですか、出すなら辞めます。」と言ったという〔。栗橋は「代打には向いてないと思ったし、あの巨人戦とかの大観衆の中でフライ落としたらどうしたらいいだろうって。入った以上最後まで近鉄とも思ってましたしね」と語っている〔。引退後は朝日放送・ラジオ大阪を経て、現在はテレビ大阪の解説者を務め、オフにはプロ野球マスターズリーグにも第1回目(2001年秋~2002年初頭)より参加し、初参加以来大阪ロマンズに所属し外野手を務める。 現役時代はダッシュケイオウが応援歌として使用されており、現在もオリックス・バファローズの近鉄復刻試合で使用されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「栗橋茂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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