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栗沢僚一 : ミニ英和和英辞書
栗沢僚一[くり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くり]
 【名詞】 1. Japanese chestnut 2. castanea crenata 
: [さわ]
 【名詞】 1. (1) swamp 2. marsh 3. (2) mountain stream 4. valley 5. dale 
: [りょう]
 【名詞】 1. official 2. companion
: [いち]
  1. (num) one 

栗沢僚一 ( リダイレクト:栗澤僚一 ) : ウィキペディア日本語版
栗澤僚一[くりさわ りょういち]

栗澤 僚一(くりさわ りょういち、1982年9月5日 - )は、千葉県松戸市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)Jリーグ ディビジョン1柏レイソル所属。流通経済大学法学部卒。
== 来歴 ==
兄の影響で6歳の時にサッカーを始める。小学校卒業に併せて柏レイソルのジュニアユース加入を図ったが選考を通らず、中学生時にはなかなか専門的指導を受けられずにいた〔 Jリーグ選手協会 (2008年4月11日)〕。トレセンでのプレーが認められ〔on the way 柏レイソル〕、1998年に県内の強豪校である習志野高校へ進学したが、全国大会での好成績を残せず、千葉県選抜として臨んだ国体も地区予選で敗れたため全国的には無名の存在だった。
習志野高校サッカー部本田裕一郎監督の紹介を受け、2001年に流通経済大学へ進学。同大学は強化に乗り出してから年が浅く、同年は茨城県大学リーグに所属していたが、栗澤は2学年上のFW阿部吉朗の練習に取り組む姿勢から刺激を受け、阿部との好連携によってプレーも磨かれていった〔 東京中日スポーツ (2004年7月23日)〕。3年時には関東大学リーグ2部で優勝し、先輩の塩田仁史及び池田昌広と共にベストイレブンに選出された〔第77回関東大学サッカーリーグ戦・順位表・表彰者一覧 College Soccer Central〕。大学在学中の2004年から、特別指定選手としてFC東京に加入〔 FC東京 (2004年2月26日)〕。MFケリーの負傷離脱などによって出場機会を掴むと〔 東京中日スポーツ (2004年4月29日)〕、巧みなボールコントロールや基本技術の高さで信頼を掴み〔 東京中日スポーツ (2004年7月21日)〕、7月には翌年からのFC東京との契約を結んだ〔 FC東京 (2004年7月21日)〕。
2005年に大学を卒業してチームに再合流。シンプルに味方を使って〔 東京中日スポーツ (2005年2月17日)〕リズムを作り、豊富な運動量とミスの少ない堅実なプレーで貢献〔 東京中日スポーツ (2005年3月18日)〕。ルーキーながら同年のリーグ戦全試合に出場した〔選手出場記録 Jリーグ (2005年12月3日)〕。Jリーグ初得点はJ1第4節ジュビロ磐田戦。当時FC東京が苦手としていた磐田から5年ぶりの勝利を勝ち取る値千金の決勝弾だった。2006年は負傷の影響で出場機会を減らしたが、フォアザチームを体現するプレーぶりへの信頼は厚く、同年をもって現役を引退する三浦文丈からは自身の背番号10を受け継いでほしいと後継者に指名されていた〔【J1:第11節 F東京 vs 名古屋】プレビュー J's GOAL (2008年5月5日)〕〔引退の文丈が栗沢を後継者に 背番号『10』を託す 東京中日スポーツ (2006年11月29日)〕(2007年にパウロ・ワンチョペが10番を付けたため実現せず)。復調後は攻守のバランスを取りつつ〔 東京中日スポーツ (2007年12月7日)〕チームの潤滑油として奮闘を続けていたが、2008年になると新加入のMF羽生直剛と役割が重なったことなどにより、出場機会を激減させていた。
2008年8月、鈴木達也との交換トレードの形で〔栗沢 柏へレンタル移籍 鈴木が新加入 東京中日スポーツ (2008年8月27日)〕柏レイソルへレンタル移籍〔 FC東京 (2008年8月26日)〕〔栗澤僚一選手が期限付き移籍加入 柏レイソル (2008年8月26日)〕。谷澤達也の移籍によって空いた背番号28〔習志野高校の2年先輩であった玉田圭司の柏在籍時の背番号でもあった。〕を着用し、主に攻撃的な位置に入り得点に絡むことを意識してプレーしていたFC東京在籍時とは一転、ボランチとしてレギュラーに定着した。2009年も移籍期間を延長して拍でのプレーを続けたが〔 (2009年1月9日)〕〔栗澤僚一選手の期限付き移籍延長 柏レイソル (2009年1月9日)〕、チームの失点増加を食い止めきれず、自身初のJ2降格を喫した。2010年からは柏へ完全移籍〔 FC東京 (2010年1月6日)〕〔栗澤僚一選手が移籍加入 柏レイソル (2010年1月6日)〕。警告処分を厭わない〔この年のリーグ戦では、チーム最多となる11枚のイエローカードを提示されている。〕守備でチームを支え、リーグ最小失点でのJ2優勝及びJ1復帰に貢献。翌2011年にはJ1優勝を果たした。その後もこぼれ球の予測に長けセカンドボール回収に優れるボランチの中軸として出場を続け、主将大谷秀和に代わってゲームキャプテンを務める機会もあり、2013年のヤマザキナビスコカップでは自身の手で優勝杯を掲げた〔優勝杯を掲げたキャプテン代理の柏MF栗澤「最高でした!」 ゲキサカ (2013年11月2日)〕。また、同年3月にタレントの佐藤弥生と結婚〔栗澤僚一選手が入籍 柏レイソル (2013年4月1日)〕〔柏の栗沢結婚「王様のブランチ」佐藤弥生 日刊スポーツ (2013年4月1日)〕。ジョルジ・ワグネルが退団した2014年からはチーム最年長となり先発を外れる機会が多くなったが、衰えない運動量で〔第2ステージ(2)走行距離トップは柏のMF栗沢、ダッシュしたのは名古屋のMF永井 産経ニュース (2015年7月18日)〕計算できる貴重な選手として重宝された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「栗澤僚一」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ryoichi Kurisawa 」があります。




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