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株式会社トミー (TOMY) は、三陽玩具製作所を始まりとする1953年創業の玩具会社。2006年3月1日、同業のタカラとの合併によりタカラトミーとなった。 == 概要 == ロゴは、「TOMY」。主力商品に「トミカ」・「プラレール」・「ゾイド」などがある。かつては「TOMIX」の名で鉄道模型を作っていたが後に、「トミーテック」に分社されている。 当時主な輸出先だったアメリカでも通用するよう、創業者の苗字「富山」をもじりトミーと名付けられる。 製造メーカーとしてスタートしており、問屋からスタートしたバンダイに比べると流通面で不利だったが玩具業界最大の商品開発陣を擁し技術面では評価を得て、「技術のトミー」と言われていた。 技術力は高いものの作り手の意見が先行して、身軽な経営が困難な体制になっていたことから三代目社長、富山幹太郎はバンダイのような身軽な組織になることを目的に開発陣を解体した。 一方、富山はバンダイやタカラに対してテレビキャラクターで出遅れたと考えていた。商品開発が業界内で最も早いとされているバンダイと比べて、商品開発に手間をかけすぎるトミーは、迅速な商品開発を必要とするテレビキャラクターを苦手としていた。これは、玩具業界内では『恐竜シリーズ』や『伝説巨神イデオン』などですでに知られていた。社内外から反対を受けたが、富山の決意は硬く『仮面の忍者 赤影』や『おそ松くん』などテレビキャラクターを積極的に手がけていく。 富山は息子に「トミーのおもちゃはカッコ悪い。僕は大きくなったらバンダイに入りたい」と言われ衝撃を受けた。しかし、これを消費者の声として受け止め『絶対無敵ライジンオー』を作成。『ライジンオー』は一定の成功を見せた。しかし、後継作品の『熱血最強ゴウザウラー』で商品開発陣が高い水準の商品を作ることにこだわったため、番組の展開より商品発売が遅れ大惨敗。業界内からは「やっぱりトミーにキャラクターは無理だ」と言われる。 その後、消費者がテレビより出版を通じて商品の情報を得る傾向が高まっていたことから、『愛天使伝説ウェディングピーチ』を手がけた際の小学館と関係から、『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』で小学館と連携を取り、大きな成功を得る。 こうした中、『月刊コロコロコミック』を通じて『ポケットモンスター』の人気の高まりを知り、商品化権を取得。アニメ化に際しては、商品化権取得でバンダイとの競合が懸念されたが、バンダイはたまごっちの大ヒットで大忙しとなり、『ポケモン』に構う余裕は無く、一部の商品化権取得に留まっている。一方、トミーは玩具を中心に幅広い分野の商品化権を取得。アニメは大ヒットとなり、関連商品の売上はそれ以前の同社売り上げと同水準であり一気に倍増。1980年代より玩具業界3位の地位にあったトミーは、1997年度に2位に浮上する。かつて発売した「ゆびのりピピ」のメカニズムを流用して「てのひらピカチュウ」を発売する、等、開発期間を短縮してテレビキャラクターの商品開発を行える体質になる。 その後、タカラの「ベイブレード」のヒットとポケモンの不振が重なった2001年度にタカラに2位を取り返され、再度3位に転落した。しかし、そのベイブレードの失敗でタカラは経営不振に陥り、トミーを存続会社として合併『タカラトミー』となった。 タカラトミーとなり玩具業界2位の地位を確保したが、企業規模では多角経営であるバンダイに見劣りする。ただし玩具事業のみで比較すると両社は互角である。 玩具の製造拠点として「輸出玩具工場団地」を提唱。栃木県下都賀郡壬生町におもちゃのまちを造成。その中心的存在だったが、1996年に、おもちゃのまち内の事業所の看板をすべてトミーテックなどの関連企業名に付け替えたために、トミーがおもちゃのまちから撤退したと話題になった。トミーテックはその後も同所で操業を続けている。2008年、タカラトミーは直営店舗「おもちゃのまちのおもちゃやさん」を開業し、おもちゃのまち内で事業所を復活させた。(2013年3月24日閉店) 東京ディズニーランド、および、東京ディズニーシーのオフィシャルスポンサーになっており、ディズニー関連の商品の製造販売もしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トミー (企業)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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