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根岸 季衣(ねぎし としえ、1954年2月3日 - )は、日本の女優。本名、根岸 俊惠〔オフィシャルウェブサイト・根岸季衣ROOMに「本名の俊恵」の記述あり〕(読み同じ)、旧芸名、根岸 とし江。 東京都豊島区東池袋出身〔(根岸本人の取材に基づく記事)。〕。アルファエージェンシー所属。特技はダンス。桐朋学園大学短期大学部演劇専攻中退。夫(2008年再婚)は、根岸がボーカルを務めるブルースバンドのメンバーでもある宇賀啓祐。 == 来歴 == 父親は警察官〔。幼少期から芝居好き〔。中学までは成績も学年で1番か2番で都立豊島高校にらくらくと合格した〔。学生時代から演劇活動を始めるが、この当時、所属していた大学の演劇部では、大学以外での外部出演を禁じていたため、「嵯峨小夏」名義で女優活動をしていた。本人曰く「ガサツな子」〔この当時の芸名の英語スペルは「SA・GA・KO・NA・TSU」→これを英語風の名前から先に読ませる場合は「KO・NA・TSU・SA・GA」になる。更にこれを逆にすると「GA・SA・TSU・NA・KO」となる(いわゆるアナグラム)〕から芸名を取ったといい、『蒲田行進曲』に登場する小夏はこの名前からきているという〔根岸の公式サイト・プロフィル欄から〕。 1974年につかこうへい事務所に入団する。20歳のとき桐朋学園を辞め、保母になるため別の短大に入りなおす〔。ところが1975年の『ストリッパー物語』の主役に抜擢され、短大を半年で辞め「根岸とし江」の芸名で芝居の世界に戻った〔。同舞台は大人気となり、特に若者たちの間で絶大な支持を受ける〔。その後は舞台以外でも幅広く活躍する。映画は1976年、多岐川裕美主演の『新・女囚さそり 701号』(東映)がデビュー作〔。 1980年に『愛さずにはいられない』でのテレビドラマ初主演を機に芸名を「根岸 季衣」(読みは本名と同じ)に改名。1981年に作詞家・大津あきらと結婚し男児2人をもうけるが1997年に大津が直腸がんで他界。その後、悲しみに耐え女優業を再開する。 『復讐するは我にあり』(柳葉敏郎主演のテレビ版にも出演)や『海と毒薬』などの話題作にも多数出演する。大林宣彦作品の常連になり、演技派として欠かせない存在でもある。お節介なおばさんや口うるさい母親などパワフルな女性役に定評がある〔2008年3月号『日経エンタテインメント!』、「2008年スーパーサブカタログPART2」より〕。 2008年にブルースバンドのメンバー・宇賀啓祐と再婚し、根岸季衣&ザ・ブルースロードのボーカルとしてライブ活動も行っている。「愛の劇場」の数本の作品に脇役として出演しており、常連である。九条の会の賛同者で「非戦を選ぶ演劇人の会」の委員でもある。 2011年、湯川れい子・市原悦子らとともに福島第一原発事故に関連して「原発ゼロをめざす7.2緊急行動」の呼びかけ人を務めた〔「原発ゼロをめざす7.2緊急行動」 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「根岸季衣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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