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根本幽峨 : ミニ英和和英辞書
根本幽峨[ねもと ゆうが]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こん, ね]
 【名詞】 1. root 
根本 : [ねもと]
 【名詞】 1. root 2. source 3. origin 4. foundation 5. base 6. principle
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 

根本幽峨 : ウィキペディア日本語版
根本幽峨[ねもと ゆうが]

根本 幽峨(ねもと ゆうが、文政7年(1824年) - 慶応2年11月11日1866年12月17日))は、江戸時代後期の絵師因幡国鳥取城下町の商家・砂田屋に生まれる。
幼少の頃から絵を好み、凧、幟などに武者絵を描き、それを売ったりもした。やがて江戸に出て、鳥取藩絵師・沖一峨に師事して狩野派の画法を学び、さらに大和絵浮世絵なども研究して数多くの大作・小品を描いた。
弘化4年(1848年)に藩命により絵を献上し、安政5年(1858年)には、画技を認められて鳥取藩絵師として4人扶持で召し抱えられる。
元治元年(1864年)、沖九皐(守固)の弟剛介が「堀庄次郎暗殺事件」を起こしたため、沖家は一時断絶となり、幽峨は九皐一家を預かった。慶応2年12月に御預を許されて家名を再興されるまで、沖家の世話をした。
慶応2年(1866年)、43歳で死去。墓は鳥取市慶安寺にある。
== 代表作 ==

* 源平合戦図屏風 渡辺美術館) 紙本著色 六曲一双
* 楼閣山水図 鳥取県立博物館) 絹本墨画 双幅

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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