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根本新平 : ミニ英和和英辞書
根本新平[ねもと しんぺい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こん, ね]
 【名詞】 1. root 
根本 : [ねもと]
 【名詞】 1. root 2. source 3. origin 4. foundation 5. base 6. principle
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [しん]
  1. (n,n-suf,pref) new 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

根本新平 : ウィキペディア日本語版
根本新平[ねもと しんぺい]
根本 新平(ねもと しんぺい、天保11年(1840年) - 元治2年2月4日1865年3月1日))は江戸時代後期・幕末水戸藩士尊皇志士仮名を新平。を義信、変名を岸新蔵といった。本姓藤原氏家系鎮守府将軍藤原秀郷の流れを汲み、小野崎氏の家老に列した根本氏。父は根本祐介一知、母は根本義言の女。国事に奔走し天狗党の乱で没した。死後、位階贈正五位
== 概要 ==
安政4年(1857年)、家督を相続し、小普請組となる。同5年(1858年)、戊午の密勅が水戸藩に下され、幕府が返納を求めると、新平は尊攘激派に与して活動した。安政の大獄後、水戸藩が返納に傾くと、万延元年(1860年)、長岡宿に集い阻止した。桜田門外の変後、さらなる尊攘活動を企図して薩摩藩邸に身を投じたが、水戸藩に引き渡され禁錮となる。文久2年(1862年12月、罪を赦されて小普請組に復帰し、同3年(1863年)将軍上洛に供奉する藩主・徳川慶篤に随い上京、尊皇攘夷の機運の高まりに触れる。元治元年(1864年)、天狗党の挙兵に加わり、一方の将として諸生党と闘った。主力が幕府軍に降伏する中、新平は武田耕雲斎に随い、都に向かって西上し、越前国幕府方加賀藩に降伏。元治2年(1865年)2月4日、敦賀斬刑となる。維新後、正五位を贈位される〔 家臣人名事典編纂委員会編『三百藩家臣人名事典 (2)』 (新人物往来社1988年) 434頁参照。 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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