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根本氏(ねもとし)は日本の氏族のひとつ。 == 藤原姓小野崎氏支流 根本氏 == 本姓は藤原氏。藤原北家の流れを汲む藤原秀郷の末裔 小野崎氏の庶流。小野崎通静の次男 盛通が常陸国信太郡根本(現在の茨城県美浦村根本)を領し根本氏を起こした〔太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第3巻』(角川書店、1934年)4586頁、奥富敬之著『日本家系・系図大事典』(東京堂出版、2008年)770頁参照。〕。家紋は丸に剣片喰、丸に片喰、亀甲に剣片喰、丸に違い鷹の羽、丸に花菱、丸に左三つ柏、丸に抱き茗荷、丸に木瓜など〔日本家紋研究会編『家紋でわかるあなたの祖先 茨城県北部地方』(日本家紋研究会、2001年)32頁参照。〕。 系譜 小野崎通静-根本盛通-通治-通門-忠通-通重 佐竹氏が小野崎氏を傘下に加える過程でその庶流にあたる根本氏も佐竹氏の勢力下に入ったとみられ、戦国期の佐竹家臣として、久慈郡西東衆に根本宮内正の名が〔大内政之介著『山入一揆と佐竹氏』(筑波書林、1991年)108頁参照。〕、佐竹家中の衆として根本紀伊守の名が確認される〔大内政之介前掲書(筑波書林、1991年)106頁参照。〕。また、佐竹氏の陸奥国南郷支配の拡大に活躍した武将として根本掃部右衛門尉の名が見え陸奥国南郷、花園の地に25貫、堤に25貫、計50貫を領したという〔佐々木倫朗著「佐竹氏の陸奥南郷経営―戦国期から統一政権期にかけて―」『歴史人類 第5号』(筑波大学歴史人類学系、1997年3月)67頁、佐々木倫朗著『戦国期権力佐竹氏の研究』(思文閣出版、2011年) 232頁、233頁参照。〕。 また、久慈東郡町屋郷の根本氏は、同じ藤姓秀郷流ながら、秀郷の子ともいわれる佐野太郎秀盛を遠祖とするという。根本氏祖は前九年の役にて安倍氏追討の大将 陸奥守鎮守府将軍源頼義に随い、安倍宗任を生け捕りにするといい、その後、子孫は佐竹氏に随い永楽500貫で根本郷城主となるという〔大内政之介著『新編金砂戦国史』(筑波書林、1993年)48頁参照。〕。 系譜 岡田太郎通胤―従五位下右京大夫摂津守通棟―佐野豊後守公通―江戸成時―那珂八郎通房… 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「根本氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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