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桂吉弥 : ミニ英和和英辞書
桂吉弥[かつら きちや]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けい, かつら]
 (n) (abbr) knight (shogi)

桂吉弥 : ウィキペディア日本語版
桂吉弥[かつら きちや]

桂 吉弥(かつら きちや、1971年2月25日 - )は、大阪府茨木市出身の落語家俳優上方落語協会の会員で、所属事務所米朝事務所。『真室川音頭』を高座の出囃子に用いる縁で、山形県真室川町の観光親善大使「まむろがわ大使」を務めている〔2014真室川まつり「8月16日・17日」開催 まむろがわ大使「桂吉弥」パレード参加 (山形県真室川町公式サイト2014年7月18日付記事)〕。また、妻の出身地に当たる島根県安来市から、「安来市ふるさと大使」を委嘱されている〔第8回なかうみマラソン全国大会(2012年11月4日開催) 〕。
2人の子どもを持つ既婚者で、現在の本名は富谷 竜作(とみや りゅうさく)。旧姓は新保(しんぼ)だったが、結婚を機に富谷姓を名乗っている。現在は、兵庫県尼崎市武庫之荘に在住。
== 人物 ==
両親とも養護学校の教員だった新保家の長男として出生。実父は、大阪府立藤井寺養護学校(現在の大阪府立藤井寺支援学校)の校長として定年を迎えた〔「みをつくし 語りつくし」桂吉弥さん(キャッシュ) 〕。吉弥自身も、小学校で児童会の会長、中学校で生徒会長・ブラスバンド部長を務めていた。
大阪府立春日丘高等学校から、実父が卒業した神戸大学教育学部に進学。高校時代には、体育教師になることを志しながら、サッカー部で活動していた(ポジションは中盤)。しかし、大阪教育大学筑波大学の入学試験で不合格になったことを機に、目標を小学校の教師に改めた。大学への進学後は、落語研究会に所属。中学生時代にブラスバンド部でフレンチホルンを吹いていたことにちなんで、「甲家楽破(かぶとやらっぱ)」という高座名で活動していた。後に会長へ就任。現在の夫人は、落語研究会の1年先輩で、吉弥を同会に勧誘していた。その一方で、実父の学生時代と同じく、夏場にはボランティアで「朝日キャンプ」(朝日新聞厚生文化事業団が主催する児童向けキャンプ)のリーダーを務めている。
落語研究会の活動を通じて桂吉朝の落語に心酔したことが高じて、大学在学中の1994年11月に吉朝へ入門。同年12月に、落語家としての初高座を果たした。大学を卒業する1995年には、2月から吉朝の師匠・桂米朝の自宅への住み込み修業を予定していたが、1月17日に当時住んでいた神戸市灘区内で阪神・淡路大震災を経験。吉弥自身は幸いにも難を逃れたため、修業の開始を1ヶ月だけ遅らせることを条件に、「朝日キャンプ」の震災ボランティア活動に参加した。
1995年3月から3年間、兄弟子の桂あさ吉等と共に、米朝の自宅で内弟子として住み込み修業。内弟子生活を終えてからは、現在に至るまで、吉弥の実家近くに住む有志の自宅で「春日寄席」と称する落語会を定期的に開いている。
また、落語家として活動するかたわら、NHKのテレビドラマにもたびたび出演。2004年大河ドラマ新選組!』では、山崎烝役を演じた。2007年10月から2008年3月までは、上方の落語界を舞台にしたNHK大阪放送局制作の連続テレビ小説ちりとてちん』に、「徒然亭草原(つれづれていそうげん)」という架空の落語家役で出演。これを機に、関西地方で放送される複数のテレビ・ラジオ番組でレギュラーを務めるなど、活動の幅を大きく広げている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「桂吉弥」の詳細全文を読む




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