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桂広繁 : ミニ英和和英辞書
桂広繁[かつら ひろしげ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けい, かつら]
 (n) (abbr) knight (shogi)

桂広繁 : ウィキペディア日本語版
桂広繁[かつら ひろしげ]
桂 広繁(かつら ひろしげ、生没年不詳)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将毛利氏小早川氏の家臣。官途名民部大輔桂元澄の五男。兄に元延元貞元親景信、弟に元盛がいる。子は桂鎮繁桂繁次桂黒寿丸桜尾城主。
== 生涯 ==
桂元澄の五男として誕生。永禄12年(1569年)、父元澄が死去すると家督を相続した。その後は備中国に進出し、毛利元就の四男・穂井田元清の補佐役となった。天正10年(1582年)の備中高松城の戦いでは、鴨庄城の守将となる。織田氏に寝返った宇喜多氏配下の戸川秀安が攻め寄せると奮戦して城を支えるも、本丸を守っていた城主の上山元忠、東の丸を守っていた生石治家が寝返り、東の丸に宇喜多勢を引き入れた。広繁は降伏を勧められるも、これに激怒して逆襲に転じ、戸川秀安と上山元忠・生石治家を撃退した。
その後、元就の末子で小早川隆景の養子となった小早川元総(後の秀包)が人質として豊臣秀吉の下に送られる際には同行し、小早川氏の家臣となった。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、小早川秀包の出陣中の久留米城を守備していたが、10月14日に黒田如水鍋島直茂率いる37,000の軍の攻撃を受けた。城中には広繁と白井景俊以下500の兵しか残っていなかった。必死の防戦で数日城は持ちこたえたが、両将は開城勧告に応じて城を明け渡した。秀包の正室桂姫と嫡男毛利元鎮は黒田家の人質に、広繁の四男黒寿丸は鍋島家の人質とされた。
関ヶ原の戦いの後、小早川秀包が改易されると、長府藩を起こした毛利秀元に仕えた。法名は快友。
広繁の死後、邸宅跡は桂氏の菩提寺快友寺が建立された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「桂広繁」の詳細全文を読む




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