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桂文屋(かつら ぶんや、1867年12月 - 1909年3月16日)は、落語家(上方噺家)。本名: 桂陀羅助。享年43。俳名は「文哉」。 軽口の笑福亭松右衛門の実子。本名の陀羅助(だらすけ)は、吉野大峰山名産の苦い胃腸薬「陀羅尼助丸」に由来している。ちなみに、妹はお里(お砂糖)、兄は勘三(甘草)と言い、いかにも人を食った命名で、戸口調査の際、父親が叱られたという。 幼少時から本名(一時笑福亭だら助)のままで寄席に出ており、父と同じく2代目笑福亭圓笑(2代目笑福亭松鶴)の門下だったという。次に3代目桂文吾の門下で金吾となり、最後に2代目桂文枝(後の桂文左衛門)の門下で文屋となった。 変わり者で芸人としての欲がなく、本職の高座は、聴衆よりも同業者に良く受けるような体のものだった。しかし、その人物には魅力があり、文人の食満南北や渡辺霞亭によく愛された。一中節をうなり、胡弓を擦り、絵を嗜み、琴を弾じ、自身の名前の楽焼「陀羅助焼」を捻り、「文哉」の名で句を詠むなど、多芸多趣味の人であった。 約1尺4、5寸の腰に銀の煙管をぶら下げて楽屋入りするなど数々の奇行でも知られた。家には仏壇以外の家具が無く、襖には破産した銀行の株券を張り詰めていた。また、夜は灯をともさず、天上には水を入れた徳利をぶら下げ、もし泥棒が侵入してこの徳利に頭をぶつけると、水がこぼれて自分にかかり眼が覚める、という仕掛けであった。また両方に口の着いた土瓶を作り、販売していたがまったく売れなかった。その両口土瓶の碑が1909年6月に大阪市天王寺区の壽法寺の文屋を偲ぶ人たちによって建てられた。また生涯独身であった。 新作も多く物にしており、今も良く高座に掛けられる『いらち俥』(東京では『反対俥』)『阿弥陀池』(発表当時は『新作和光寺』)『染色』『宇治の柴舟』は、この文屋の作と言われる。ほかにも曾我廼家五郎、曾我廼家十郎の喜劇の台本の執筆に協力などもしている。 辞世の句は「夢さめて酒まださめず春の月」。 == 出典 == *『古今東西落語家事典』(諸芸懇話会・大阪芸能懇話会共編、平凡社、1989年、ISBN 458212612X) *『上方落語ノート』p252-278「明治の上方新作落語」(桂米朝著、青蛙房、1978年) かつら ふんや 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「桂文屋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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