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桂文珍 : ミニ英和和英辞書
桂文珍[かつら ぶんちん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けい, かつら]
 (n) (abbr) knight (shogi)
: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 
: [ちん]
  1. (adj-na,n) rare 2. curious 3. strange 

桂文珍 : ウィキペディア日本語版
桂文珍[かつら ぶんちん]

桂 文珍(かつら ぶんちん、1948年12月10日 - )は、日本落語家。本名、西田 勤〔。
兵庫県多紀郡篠山町(現:篠山市)福井出身〔。よしもとクリエイティブ・エージェンシー吉本興業)所属。。出囃子は『円馬ばやし』。「桂珍幻彩」の名で高座に上がることもある〔今年の独演会は桂珍幻彩です , 2013年7月10日17時26分, 日刊スポーツ〕。
== 来歴・人物 ==

実家は農家。幼い頃はパイロットに憧れていたが、大学に入学してすぐに父が病気で倒れ、仕送りがストップし、ガソリンスタンドでの住み込みのアルバイトを余儀なくされる。大学生時代に落語に憧れ落語研究会に入り、美憂亭 さろん(びゆうてい-、「ビューティーサロン」に由来)と名乗る。この芸名でテレビ出演をしており、その時に共演した桂三枝(現・6代桂文枝)の勧めもあって(当時三枝も売れっ子になっており、三枝は師匠の身の世話をする人物を探していた)、1969年10月に5代目桂文枝(文珍の入門当時は桂小文枝)に入門。当初三枝から「君は僕の次(2番弟子)やで」と言われていたが、文珍が入門する3日前に桂きん枝が入門したため、3番弟子となる(2002年にナゴヤドームで行われた講演会などでの発言)。年齢はきん枝より上であるが、この入門時の経緯から、文珍はきん枝のことを「きん枝兄さん」ではなく「きん枝くん」と呼んでいる。同期に間寛平らがいる。
「文珍」の芸名は習字の「文鎮」に由来する。小文枝が物を書いていた時に、風で紙が飛ばされそうになったため、近くにいた西田に「おい、押さえとけ」と言った。言われるまま紙を押さえたところ小文枝がその様子を見て、珍しい人物なので、文鎮にかけた「文珍」と命名したという。
1974年に、『ヤングおー!おー!』のユニット「ザ・パンダ」(月亭八方・きん枝・4代目林家小染)に参加。若い頃は高座で「芸名桂文珍、本名滝廉太郎でございます」と名乗ったり郷里の篠山をネタにするなど、「丸眼鏡で地味な落語家」というイメージが強かったが、1980年代以降「ニューウェーブ落語」と称したパフォーマンスを取り入れた高座を開き、一躍新時代の落語家として注目を浴びる。また、司会者として兄弟子の三枝の様な軽快なMCが受け、一時期は17本のレギュラーを持ち、小文枝一門の弟子では三枝についでテレビ番組出演が多かった。しかし、雑誌で藤山寛美と対談した時に寛美から「レギュラー17本はしんどいですな。これからはそんなんが無くなっていくから気を付けなはれ。」と言われ、原点の落語に重点を置いて行く。新作落語古典落語の両方演じる。古典では3代目桂米朝から多くのネタを稽古付けて貰った。主な得意ネタとして、新作では自作の「老婆の休日」「ヘイ!マスター」「マニュアル時代」、古典では「愛宕山」「百年目」「胴乱の幸助」「不動坊」「天狗裁き」「地獄八景亡者戯」「はてなの茶碗」「らくだ」等がある。
また、文藝評論家谷沢永一との縁から、1988年より関西大学の文学部非常勤講師を務め(2003年まで)、「文化人」としても認められるようになった。
俳優としてはテレビドラマ『家族ジャングル』で一ノ瀬清役を演じ、『風のハルカ』で四方山一行役を演じており、役者としての才能も開花している。
2005年3月に報道ワイド番組『ウェークアップ!』(現:『ウェークアップ!ぷらす』)が終了したことを機に、テレビ番組にほとんど出演せず、落語家に専念し若手の育成に励むことを表明。
弟子は、桂楽珍(らくちん)桂珍念(ちんねん)桂文春(ぶんしゅん)桂文五郎がいる。2005年頃から米朝事務所所属の桂南光松竹芸能所属の笑福亭鶴瓶らと所属事務所の垣根を越えたユニットを組んでテレビ番組の特番に出演したり、落語会の公演に出演するなど、従来の枠を超えた活動を始めている。
1982年より毎年8月8日を「88文珍デー」と題して独演会を開催、2004年 同年より年に1回、桂南光、笑福亭鶴瓶との落語会『夢の三競演 三枚看板 大看板 金看板』を開催、落語会としては破格の6,000円を超える料金が話題となる。
2007年10月から全国52カ所を巡る独演会ツアーを翌年4月4日まで開催し、その後、NGKで10日間の独演会を開いた。独演会ツアーには六人の会のメンバー他に3代目桂春團治笑福亭仁鶴、桂三枝、桂南光らがゲスト出演。NGKでの10日間の独演会には今いくよ・くるよ中田カウス・ボタンほか、吉本の漫才師がゲスト出演した。以降毎年独演会ツアーを開催中。なお、2009年からは京橋花月で所属一門、事務所の枠を超えた落語会「京橋精選落語会」を京橋花月でスタート。
数年前から明石家さんまを落語家に復帰させようとしているが、さんまには「あんたがやりなはれ!」と言い返されている。
島田紳助とは番組共演中にトラブルを起こしたため不仲であり、紳助の引退まで関係が修復されなかった。桂ざこばとも同様の理由で不仲になった時期もあったが、ざこばとはその後和解し、米團治の襲名口上での共演や、『ちちんぷいぷい』でも共演を果たしている。西川のりおとは、一時期共演したKINCHO「どんと」のCMを巡って、のりおから「自分だけ残りよって、ええかげんにせえよ!」と嫉妬心を抱かれていたが、あくまでもCM出演の契約が切れ、止むを得ずのりおが降板をすることになったので、犬猿の仲ではないが、それを逆手にネタにしていた。
甲斐よしひろからは「好きな落語家の一人」として挙げられており、かなり親交が深い。
飛行機の操縦資格を持っており、1990年8月に自家用操縦士の技能証明、1994年4月には計器飛行証明を取得している。自身がオーナーの飛行機(ジャイロフルーク スピード・カナード SC01B-160、日本で1機のみ存在)を操縦し、公演先まで遠方飛行するなど、「飛行機を飛ばす芸能人」としても全国的に有名である。2003年の能登空港開港の際に第一号到着機になった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「桂文珍」の詳細全文を読む




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