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桃井 直信(もものい ただのぶ〔名の読みについては「なおのぶ」とされることもあるが、兄・直常が「ただつね」と読まれていたことが史料で確認でき、「直」の字が足利直義(ただよし)の偏諱を受けたものであるとの見解も出されている(阪田、1994年、p.1)。『国史大辞典』でも森茂暁が同様の見解を示した上で、直信を「ただのぶ」と読ませている(同書P.855「桃井直信」の項)。直信については初名が伝わっていないので、足利直義を烏帽子親として元服し、その一字を与えられた可能性がある。〕、生没年不詳)は、南北朝時代の武将、守護大名。越中守護。桃井貞頼(さだより)の子で直常の弟、直弘の兄。子に桃井詮信。官位は兵庫頭、刑部大輔。 延元3年/暦応元年(1338年)に越前金ヶ崎城と敦賀の南朝軍と戦ったことが初見で、以後は兄と行動を共にし、観応の擾乱では足利直義に付き従い、正平5年/観応元年(1350年)11月に能登の足利尊氏派と交戦、直義没後は南朝に降り直義の養子直冬に与したが、正平22年/貞治6年(1367年)の斯波高経・義将父子の失脚(貞治の変)に伴い兄と共に室町幕府に帰順、義将の領国だった越中守護に任命された。しかし翌正平23年/応安元年(1368年)の義将の幕政復帰と共に越中守護を解任された。「祇園執行日記」によれば文中元年/応安5年(1372年)になると六角室町に宿所を構え在京していることが分かるので、兄と別行動を取っていたことが分かる。没年は不明。 後を継いだ子の詮信(あきのぶ)は尊氏の子・足利義詮から偏諱(「詮」の字)を与えられてその名を称し、将軍直臣として義詮とその子・義満の二代に仕えた。子孫は室町幕府奉公衆のうち二番衆の番頭となっている。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「桃井直信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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