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桃観トンネル : ミニ英和和英辞書
桃観トンネル[とうかんとんねる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [もも]
 【名詞】 1. peach 2. prunus persica (tree)
: [かん]
  1. (n,n-suf) look 2. appearance 3. spectacle 

桃観トンネル : ウィキペディア日本語版
桃観トンネル[とうかんとんねる]

桃観トンネル(とうかんトンネル)は、西日本旅客鉄道(JR西日本)の山陰本線餘部駅 - 久谷駅間にある全長1,992 m鉄道トンネルである。兵庫県美方郡香美町余部と新温泉町久谷を結んでいる。開通当初は山陰本線の中で最も長く、2010年時点でも1933年(昭和8年)に開通した大刈トンネル(須佐駅 - 宇田郷駅間、2214.7 m)に続いて2番目に長い。
== 建設の背景 ==
山陰本線のうち米子より東側の区間は、和田山 - 香住間を山陰東線、香住 - 米子間を山陰西線としてそれぞれ建設された。桃観トンネルは、山陰西線の中でも最後に残された、香住 - 浜坂間の工事にともなって建設された〔余部鉄橋利活用検討会第1回会議資料 p.6(PDFとしてのページ数はp.11)〕。

最後の区間となった香住 - 浜坂間は、山が海に迫る地形で海岸沿いに線路を通すことは不可能であった〔青木栄一「日本の鉄道と橋」『余部鉄橋』pp.4 - 8〕。この区間にどのように線路を建設するかは関係した技師の間でも論争があり、米子出張所長の石丸重美は現行の案を主張し、福知山出張所長の最上慶二と橋梁技術者の古川晴一は内陸に迂回する案を主張した。石丸の案は、内陸案ではその当時の土木技術では難しい長大トンネルが必要になることを避けて、かつ最短経路を選択したもので、一方最上らの案は建設に困難が予想され、さらに建設後も海からの潮風で保守作業が困難となることが予想される長大鉄橋を回避しようとするものであった。これに対して上層部の判断により、石丸の主張する案を採用することになった〔「余部橋梁建設・保守への謎とき」〕。
香住駅の標高は7.0 m、浜坂駅の標高は7.3 mとほぼ同じ高さにあるが、その間で山を越えなければならない。長大トンネルを避けるためには、できるだけ山に登って標高の高いところに短いトンネルを掘って抜ける必要がある。この付近では河川の多くが南側から北の日本海へ向かって流れているので、これらの川筋に沿って山に登ることはできなかった。しかし桃観峠(とうかんとうげ)では、東側に西川が流れ出して余部で海に注ぎ、西側に久斗川が流れ出して浜坂で海に注いでいた。そこで、これらの川筋を利用して桃観峠のできるだけ高い位置に登って、峠の下の標高約80 mの地点に桃観トンネルを建設することになった〔『鉄道の地理学』〕。
これに伴い、余部に長谷川が形成する長さ300 mあまりの深く広い谷をどうしても横断しなければならなくなり、余部橋梁が建設されることにつながった〔。
桃観峠は、もともと「この峠を越えれば股の痛み甚だし」とのことで、股(もも)がうずくことから「ももうずき峠」と呼ばれていた。しかし鉄道の建設に当たって、良い名をつけようということで、「もも」から「桃見峠」となり、さらに「桃観峠」という名前が付けられた〔『福知山鉄道管理局史』pp.279, 289〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「桃観トンネル」の詳細全文を読む




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